「斧定九郎」の版間の差分

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古典落語「中村仲蔵」では、歌舞伎役者の初代中村仲蔵が、現在にも伝わるこの定九郎像をこしらえるまでの逸話が物語になっていますが、おはなしに出てくる「[[与市兵衛]]を先にやっておいて、あとから濡れた傘を半開きにして一文字に飛んでいき、パッと傘を開いて見得を切る。弁当幕なんでみんなが舞台に集中せず下を向いて弁当を食べてるところへ黒いものがかすめていく(とか、水がかかるとか)ので観客はハッとする」というシーンは、現在の仮名手本忠臣蔵の定九郎の登場シーンからは想像がつきません。かなり違っています。与市兵衛が休憩していると背後の掛け稲から白い腕がぬぅっと出てきて50両を盗むという、実に静かで不気味な(そしてニヒルな)演出なのです。(七代目の団十郎がこの「白い手」の演出をし、あまりに素晴らしいので現在まで継承されている)
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古典落語「中村仲蔵」では、歌舞伎役者の初代中村仲蔵が、現在にも伝わるこの定九郎像をこしらえるまでの逸話が物語になっていますが、おはなしに出てくる「[[与市兵衛]]を先にやっておいて、あとから濡れた傘を半開きにして一文字に飛んでいき、パッと傘を開いて見得を切る。弁当幕なんでみんなが舞台に集中せず下を向いて弁当を食べてるところへ黒いものがかすめていく(とか、水がかかるとか)ので観客はハッとする」というシーンは、現在の仮名手本忠臣蔵の定九郎の登場シーンからは想像がつきません。かなり違っています。与市兵衛が休憩していると背後の掛け稲から白い腕がぬぅっと出てきて50両を盗むという、実に静かで不気味な(そしてニヒルな)演出なのです。(七代目の団十郎1791〜1859 がこの「白い手」の演出をし、あまりに素晴らしいので現在まで継承されている)
  
  

2009年5月1日 (金) 01:09時点における版

役者絵:中村橋之助

斧定九郎【おの さだくろう】…「仮名手本忠臣蔵」5段目の人。斧九太夫のニート息子。

真っ暗闇の山崎街道で殺人強盗をする。被害者は与市兵衛


強盗やったあとに「50両〜」のセリフのあとイノシシと間違われて勘平に鉄砲で撃たれる(てか、流れ弾)。

江戸時代に初代中村仲蔵(なかむらなかぞう)がこの役を勤めたとき、それまで山賊の扮装だったこの役を白塗り顔、五分月代のヘアスタイル。黒羽二重の単衣(ひとえ)に朱鞘の大小を差し、腕をまくって尻からげの浪人姿にアレンジし、ドキッとする美しさの強烈な悪(ヒール)にしあげて大好評。

漫画家のみなもと太郎先生に言わせるとこのキャラが出来上がって以降、「天保水滸伝」の平手造酒(ひらてみき)も、高田馬場の安兵衛も、「浪人」と言えば定九郎像が原点となったとのこと。なるほど。


古典落語「中村仲蔵」では、歌舞伎役者の初代中村仲蔵が、現在にも伝わるこの定九郎像をこしらえるまでの逸話が物語になっていますが、おはなしに出てくる「与市兵衛を先にやっておいて、あとから濡れた傘を半開きにして一文字に飛んでいき、パッと傘を開いて見得を切る。弁当幕なんでみんなが舞台に集中せず下を向いて弁当を食べてるところへ黒いものがかすめていく(とか、水がかかるとか)ので観客はハッとする」というシーンは、現在の仮名手本忠臣蔵の定九郎の登場シーンからは想像がつきません。かなり違っています。与市兵衛が休憩していると背後の掛け稲から白い腕がぬぅっと出てきて50両を盗むという、実に静かで不気味な(そしてニヒルな)演出なのです。(七代目の団十郎1791〜1859 がこの「白い手」の演出をし、あまりに素晴らしいので現在まで継承されている)


ところが文楽のほうでは、落語に出てくるシーンにすごく似ていて、傘も開くし、セリフも「50両〜」だけではなく与市兵衛との長い掛け合いがあるんで、「ああ、こういうかんじだったのか」とイメージできます。

「(カネを)かしてくだはれ!かーしてくだはれい!」なんて言ってカツアゲしましてね。昔からカツアゲは「貸してくれ」と言うんですねえ。しかし与市兵衛は必死に抵抗する。

「むごい料理するはいやじゃに、てぬるう言えばつけあがる!」と定九郎が逆上するので、与市兵衛はどれだけ大切なカネか必死に説明し命乞いをするが、定九郎はタバコ吸ったり耳糞ほじくりながら聞くだけ聞くと、与市兵衛をずたずたに斬り殺したあとグリグリ刺してほじくって財布を奪う。

「いよぉっ五十両!あ〜あ久しぶりのご対面かたじけなし!」

って喜んでたらバーンと撃たれちゃう。被弾して空をつかむ様は歌舞伎と一緒。


東京演芸ファンには由利徹のコントが有名。

スピン・オフに定九郎の奥さんの復讐劇「女定九郎」てのもある。


関連項目

  • いのしし(共演者)