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蜷川幸雄の仮名手本忠臣蔵

494 バイト追加, 2019年12月16日 (月) 10:47
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{{Cinema|制作=舞台|公開=1988|内蔵助=近藤正臣|星=3|頃=}}
[[画像:ninagawa91.jpg|thumb|主要メンバー以外総とっかえで再演した'91年版のチラシ。]]
全編、ところどころ整理したり膨らましたりしてるけどほぼオリジナル(歌舞伎)をトレースしてて、あんまり上演されない段までとにかく「[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]」を'''全部'''を通して演ってるから、これがまずすごい。
ちなみに蜷川先生、俳優時代に[[大忠臣蔵(NET)|ミフネ版大忠臣蔵]]で[[間十次郎]]やってます( ^∇^ )。(#28「死を賭けた探索」)
2016年5月 蜷川氏の訃報に接し、生前に「的はずれな批評」を嘆いていた氏の遺志を尊重して、上記の表層をなでただけの稚拙な感想は内容をあらためる必要があるのではと、ビデオを見なおしてみました。2016年5月 蜷川氏の訃報に接し、生前にメディアに対して「的はずれな批評」を嘆いていた氏の遺志を尊重して、もりいも上記の表層をなでただけの稚拙な感想('08)は内容をあらためる必要があるのではと居住まいを正し、ビデオを見なおしてみました。
実は、おおむねあたしの感想は変わらなかった。実は、おおむねあたしの感想は変わらなかったw。
たぶん本作の場合、批評家はオリジナル(人形浄瑠璃や歌舞伎)と比較してああだ、こうだいうのじゃないだろうか。そうするとたしかに的を外すことになると思う。本作に的はずれな批評があるとしたら、きっと批評家はオリジナル(人形浄瑠璃や歌舞伎)と比較してああだ、こうだ言うのじゃないだろうか。そうなったらたしかに的を外すことになると思う。
加筆に値するのは、舞台美術の特徴で、基本的にはひな壇になった舞台にビッシリ並べられた墓石と蝋燭、そして約20名ばかりのお盆のお迎え提灯を持った「泣き女」が全段を通して(移動があるものの)そこにある(居る)というもの。上の感想に加えて、書いておいたほうがいいなとおもったのは舞台美術の特徴で、基本的にはひな壇になった舞台にビッシリ並べられた墓石と蝋燭、そして約20名ばかりのお盆のお迎え提灯を持った「泣き女」が全段を通して(移動があるものの)そこにある(居る)というもの。
仮名手本忠臣蔵の全部を現代的な蜷川演出に組み直すにあたっては徹底的に原作にあるギャグを削除し「悲劇」でまとめあげたのだが、このセットはその効果をすごく上げている。[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]の全部を現代的な蜷川演出に組み直すにあたっては徹底的に原作にあるギャグを削除し「悲劇」(鬱展開)でまとめあげたのだが、このセットはその効果をすごく上げている。
明らかに最初の感想文で間違ってたのが「八段目が無い」という点で(削除しました)、これは母娘の会話こそ全カットなのだが厳密には、ある。二人の道行に紅白の椿の花が落ちてくる印象深い(そして最短の)幕だ。明らかに最初の感想文で間違ってたのが「八段目が無い」という点で(削除しました)、これは母娘の会話こそ全カットなのだが厳密には、ある。二人の道行に紅白の椿の花が落ちてくる印象深い(そして最短の)幕だ。(椿は冬も咲くけど、オリジナルだと寒紅梅の咲く冬(九段目で雪だるま作ってるし)としている。余談ですが広重は「秋」で描いてます。)
で、十段目って「やっぱいらねえな」というのが、ミエも切らなきゃ音楽も下座もない整理された蜷川演出で浮き彫りになる(笑)。
8年前の自分が「討ち入りがスカッとしない」と言ってるのは、十段目でだれたんじゃないか?(&悲劇の一本槍でくたびれた)
いま見ると、討ち入りは悪くない。オリジナルにある見かけの「いろどり」が一切排除された上での4時間近い悲劇の一本槍は、やはり少々くたびれる。
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1988]]

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