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赤穂浪士 天の巻・地の巻

884 バイト追加, 2022年10月2日 (日) 03:10
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また、戦後(この4年前)の[[赤穂城/続赤穂城|「赤穂城」]]のときは配役に苦慮したと言うが、今回本作を作るに当たって、忠臣蔵を構成するのに十分な配役を東映が組めるようになった、とプロデューサーのマキノ光雄が喜んでいる(近代映画 のときは配役に苦慮したと言うが、今回本作を作るに当たって、忠臣蔵を構成するのに十分な配役を東映が組めるようになった、とプロデューサーのマキノ光雄が喜んでいる<small>(近代映画 臨時増刊 S31 no.133)。いろいろな意味で記念碑的なポジションにある作品。133)</small>。いろいろな意味で記念碑的なポジションにある作品。
 新しい新しいと言いながら決してアヴァンギャルドではなく、出来上がりは良い意味で「地味」。松田定次監督的にとってもじっくり撮ったお気に入り作品<small>(「キネマ旬報No.1072」/「松田定次の東映時代劇」ワイズ出版)</small>) であるそうだが、これがそのままビギナーにはおとなしく写ってしまうのだろうなと思った。内匠頭の東千代之介も堀田隼人の大友柳太朗も他作品に比べるとなにか一服盛られてるんじゃないかと思うほどローテンションの抑え気味の演技で、これがプラスに働いて良い結果にはなっているのだが、作品全体に働くものがなしさを生んでいる。
 中村錦之介は、それまで「紅孔雀」でヒーローだったのに、本作で打たれっぱなしで恋に生きる、和事系の脱盟者の小山田庄左衛門となり(23歳。初めての「オトナ役」?)、ファンが戸惑った<small>(出典:1944年生まれのおともだちの感想)</small>。  そう。それで思い出しましたが、本作はこれまで子供映画路線っぽさもあった東映の新しいアプローチも感じる。 中村錦之介(23歳。初めての「オトナ役」?)は、それまで「紅孔雀」でヒーローだったのに、本作では打たれっぱなしで恋に生きる、和事系の脱盟者の小山田庄左衛門となり、「かっこわるいし、意気地なしの役なんで、ファンは泣いたもんだ」と1944年生まれの、わたしのおともだちが言ってたが、当時の「近代映画 臨時増刊」にも、錦チャンのコメントとして「なんですあのシュウタイは。恥知らずで、もう愛想が尽きちゃったワ」と、ファンからいろいろ言われてることを語っているが、いっぽうで「武士の掟に縛られながら、若い男の人間的な苦悩を出すのは苦労したけど、芯の通った演技だから一生懸命やった。好きな役」と概略そう言っている。フランス文学に造詣の深い、原作の大佛次郎の膨らませた、いままでの忠臣蔵劇にないポジションを、若い錦ちゃんは、しっかり受け止めている。
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画像:kindaieiga_zokan_ar01.jpg|東千代之介は内匠頭が終わった後「忍法左源太」のスタジオから。(近代映画 東千代之介は内匠頭が終わった後「忍法左源太」の扮装。<small>(近代映画 臨時増刊 S31)</small>
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註01…東映としては同年公開の「日輪」につぐ2作目。カラー作品の黎明期とあって、松田定次監督は洋画家の和田三造(衣笠貞之助監督「地獄門」(53)色彩指導)を迎えて色を見てもらったという。また、衣裳は溝口健二監督作品の衣裳をやった日本画家の甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)に見てもらっているなど、色の達人の力を借りている。。
東千代之介は、白いドーランを塗ると、髭の濃いのがうっすら浮かんでくるんで困ったり、ともかく、モノクロ時代には気を使わなかった、役者集の顔のシミやなんかが、課題になっていたようだ。。東千代之介は、白いドーランを塗ると、髭の濃いのがうっすら浮かんでくるんで困ったり、ともかく、モノクロ時代には気を使わなかった、役者衆の顔のシミやなんかが、課題になっていたようだ。。
意外にも白い色の発色に苦慮しており、これまで麩を降らせて石灰の粉末を積もらせていたのを、小道具さんが見つけてきた「やわらかみがあって、色彩がよく出る」スポック・スノーという、合成樹脂を使ったと言う。(近代映画 意外にも白い色の発色に苦慮しており、これまで麩を降らせて石灰の粉末を積もらせていたのを、小道具さんが見つけてきた「やわらかみがあって、色彩がよく出る」スポック・スノーという、合成樹脂(昭和39年の週刊朝日<small>(NHK大河「赤穂浪士」特集記事)</small>によれば、スチロフォームの細かいもの、とし、同番組では石灰やナフタリン粉も、雪の代用に使用したとか)を使ったと言う。<small>(近代映画 臨時増刊 S31)</small>
註02…20年ほど前に自社制作の作品「堀田隼人」で、堀田と浅野内匠頭二役を演じている(赤穂市発行「忠臣蔵」第五巻)ので、そのイメージが良かったのかもしれない。<…と、勝手な解釈をしたが、新藤兼人の脚本を手直しした、松村昌弘(当時、助監)さんによると、もともとの新藤版の脚本が、原作に出てくる堀田隼人たちに大きくウエイトが乗っかっていたんで、最初はそういう配役が考えられたんだということだ。<small>(「大友柳太朗快伝」ワイズ出版)</small>
市川右太衛門が念願だった大石内蔵助役をゲットできて、前に幾度も内蔵助をやってた千恵蔵は、東映の申し出を一旦はすんなり飲んだそうだが、「やっぱり堀田の役は若すぎる」と、降板を申し出たとか。(近代映画 市川右太衛門が念願だった大石内蔵助役をゲットできて、前に幾度も内蔵助をやってた千恵蔵は、東映の申し出を一旦はすんなり飲んだそうだが、「やっぱり堀田の役は若すぎる」と、降板を申し出たとか。<small>(近代映画 臨時増刊 S31)</small>

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