赤穂浪士 天の巻・地の巻
作品概要 | |
制作会社 | 東映 |
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公開年度 | 1956年 |
内蔵助役 | 市川右太衛門 |
評価 |
ビギナーな感想
冠に「赤穂浪士」とついてるが、でも主役は不良浪人と泥棒。なんだこの変化球は!?とおもったら大佛次郎(おさらぎじろう)という作家の長編小説(1929年)が原作なんだそうですな。
この作家さんきっかけで「赤穂浪士」という呼び方が一般化したとも言われております。それまで四十七士は講談やなんかで言ってた「赤穂義士」というのが通例だったんだと思います。
いわゆる絢爛な京都東映映画のスタイルの開花前という感じ。
松の廊下はひじょうにスタンダードななりゆきだが、吉良と内匠頭を強調するために二人以外に現場に誰もおらず、脇差しを抜いたときはかなり遠くから梶川が止めに走ってくるのがおかしかった。
さて浪人と泥棒=堀田隼人(カッコイイ!)と蜘蛛の陣十郎のコンビが際立ったキャラでコントラストも最高なので、どう討ち入り計画に関わってくるのかワクワクしてたら、あろうことかあっさり千坂兵部のスパイとして雇われてしまう。クールな浪人と大泥棒という、せっかくいいかんじに膨らみそうな肩書きは無くなり、ただのおっさんスパイふたり。
堀田の魅力は野心や大志が無く、ただただ太平の世の中を忌み嫌ってるアナーキストなんだから反政府(大石側)のほうに肩入れしたらどうなんだろう(んま、最終的にはそういうかんじなんだが)。
せっかく個性ある二人なのにそのコントラストは発揮されないし、コンビ機能ももうひとつ。話が進むにつれ赤穂浪士たちに話のウエイトがかかってくると自然に彼らの出番も少なくなる。もしも演じてる大友柳太郎と進藤栄太郎そのものの魅力が無かったらオハナシ的にはいまいち??
討ち入りがすごくさっぱりして短い。
堀田にはそれらしい終焉が用意され、雇った千坂もなかなか渋いセリフを決めている。
チンや子猫がたくさん登場してるのはうれしい作品。
この映画ではよくわからなかったが、再三映像化される原作「大佛次郎原作:赤穂浪士」にはよっぽど引力があるものとお見受けいたします。
マニアの感想
上記の感想文は、もりいくすおが忠臣蔵にハマりたて(これを打ってるいまから7年ほど前)に記したもので、当時は大佛次郎の原作も読んでいないし東映時代劇も知らない、はなはだ稚拙なものですが、それでも削除しないのはビギナーの素直な感想としてはアリかな、と自身がマッチポンプ的に面白がったからであります。
さて、本作をあらためて見てみますと、非常に丁寧な作りの、ただしい、品の良い作品で好感度が高い。
東映創立5周年の本作はカラーの忠臣蔵第1号(註01)で、第1号=お初と言えば、「松田定次の東映時代劇(畠剛 著)」を読んで「たしかに!」と膝を叩いたのが、ここで大石内蔵助を演じる市川右太衛門は十八番の「旗本退屈男」に見るオーバーアクションやメイク(彼には関西歌舞伎出身らしい派手さがあった)を一切取り払って、「これが主税の釣った鯛?ほんとにお前が釣ったのか」なんつって、それは事件さえなければひじょうに一般的で平凡なおっさんという内蔵助像を作り上げている点で、それはこれまで表現されてきたやり方とは一線を画す「お初」と言えるでしょう。
右太衛門はエッセイの中で「本作は在来の忠臣蔵に比べると吉良側や幕府側、また一般側にも出番がある新しい角度で描いてる」というようなことを言っていて、この点は松田監督と相談ずくだそう。たしかになるほどそれは、21世紀になってまとめて手当たり次第にDVDで見ていては気づかないところ。
「昔はとにかく字幕(オープニングタイトル)が出ただけで、途端に拍手喝采だったくらい、至極安直に忠臣蔵に陶酔する客ばかりだった。今では、つまらん映画は見るだけソンという合理主義の時代です」(両コメント共に「時代映画No.8」昭和31年新年号)
あらためて時系列に作品リストをさかのぼってみるとなるほどそのとおりで、フィルムに色がついただけでなく本作は時代劇的にも、右太衛門本人にとっても、パラダイムシフトなアプローチ、一大エポックを画する作品とおぼしめす。
(昭和初期のサイレント映画?には本原作を元にした「堀田隼人」なるスピンオフもあるようだが(千恵プロ1933)大佛作品の「赤穂浪士」を忠臣蔵映画として扱うという点では初めてなこころみ。)
また、戦後(この4年前)の「赤穂城」のときは配役に苦慮したと言うが、今回本作を作るに当たって、忠臣蔵を構成するのに十分な配役を東映が組めるようになった、とプロデューサーのマキノ光雄が喜んでいる(近代映画 臨時増刊 S31 no.133)。いろいろな意味で記念碑的なポジションにある作品。
で、クレジットされている脚本の新藤兼人は原作の主要キャラクター堀田隼人たちに重点を置いてホンを書いたが、「忠臣蔵」の大事なところが書けてへん&オールスター映画向きではない。と、大幅にボツにされたとか。(実際は助監督の松村昌治がほとんど書いたらしい。(「大友柳太朗快伝」/「松田定次の東映時代劇」共にワイズ出版))
何割、進藤さんの働きが残っているかわからないが、原作の内容はひじょうにそつなくコンパクトにまとめられて、講談エピソードもうまく調和している。
新しい新しいと言いながら決してアヴァンギャルドではなく、出来上がりは良い意味で「地味」。松田定次監督的にとってもじっくり撮ったお気に入り作品(「キネマ旬報No.1072」/「松田定次の東映時代劇」ワイズ出版)) であるそうだが、これがそのままビギナーにはおとなしく写ってしまうのだろうなと思った。内匠頭の東千代之介も堀田隼人の大友柳太朗も他作品に比べるとなにか一服盛られてるんじゃないかと思うほどローテンションの抑え気味の演技で、これがプラスに働いて良い結果にはなっているのだが、作品全体に働くものがなしさを生んでいる。
中村錦之介(23歳。初めての「オトナ役」?)は、それまで「紅孔雀」でヒーローだったのに、本作では打たれっぱなしで恋に生きる、和事系の脱盟者の小山田庄左衛門となり、「かっこわるいし、意気地なしの役なんで、ファンは泣いたもんだ」と1944年生まれの、わたしのおともだちが言ってたが、当時の「近代映画 臨時増刊」にも、錦チャンのコメントとして「なんですあのシュウタイは。恥知らずで、もう愛想が尽きちゃったワ」と、ファンからいろいろ言われてることを語っているが、いっぽうで「武士の掟に縛られながら、若い男の人間的な苦悩を出すのは苦労したけど、芯の通った演技だから一生懸命やった。好きな役」と概略そう言っている。フランス文学に造詣の深い、原作の大佛次郎の膨らませた、いままでの忠臣蔵劇にないポジションを、若い錦ちゃんは、しっかり受け止めている。
「東下り」は泣ける。最初、堀田隼人でキャスティングされてたという片岡千恵蔵だが、立花左近で正解!(泣)(註02)
で、やっぱり2時間半ほどにまとめてるので蜘蛛の陣十郎と堀田隼人が千坂兵部(の役者さんがいま見るとひじょうに良い)の隠密になるところは、原作を知った上であらためて観てみてもあっさりしているし、あれだけキャラを魅力的に描いておきながら後半に出番が少なく、惜しい。
・・・とはいえそれでも、なんやかやで、良い感じにはまとめている。
註01…東映としては同年公開の「日輪」につぐ2作目。カラー作品の黎明期とあって、松田定次監督は洋画家の和田三造(衣笠貞之助監督「地獄門」(53)色彩指導)を迎えて色を見てもらったという。また、衣裳は溝口健二監督作品の衣裳をやった日本画家の甲斐庄 楠音(かいのしょう ただおと)に見てもらっているなど、色の達人の力を借りている。。
東千代之介は、白いドーランを塗ると、髭の濃いのがうっすら浮かんでくるんで困ったり、ともかく、モノクロ時代には気を使わなかった、役者衆の顔のシミやなんかが、課題になっていたようだ。。
意外にも白い色の発色に苦慮しており、これまで麩を降らせて石灰の粉末を積もらせていたのを、小道具さんが見つけてきた「やわらかみがあって、色彩がよく出る」スポック・スノーという、合成樹脂(昭和39年の週刊朝日(NHK大河「赤穂浪士」特集記事)によれば、スチロフォームの細かいもの、とし、同番組では石灰やナフタリン粉も、雪の代用に使用したとか)を使ったと言う。(近代映画 臨時増刊 S31)
註02…20年ほど前に自社制作の作品「堀田隼人」で、堀田と浅野内匠頭二役を演じている(赤穂市発行「忠臣蔵」第五巻)ので、そのイメージが良かったのかもしれない。<…と、勝手な解釈をしたが、新藤兼人の脚本を手直しした、松村昌弘(当時、助監)さんによると、もともとの新藤版の脚本が、原作に出てくる堀田隼人たちに大きくウエイトが乗っかっていたんで、最初はそういう配役が考えられたんだということだ。(「大友柳太朗快伝」ワイズ出版)
市川右太衛門が念願だった大石内蔵助役をゲットできて、前に幾度も内蔵助をやってた千恵蔵は、東映の申し出を一旦はすんなり飲んだそうだが、「やっぱり堀田の役は若すぎる」と、降板を申し出たとか。(近代映画 臨時増刊 S31)
その後の映像版「赤穂浪士」
- 赤穂浪士(東映)1961
- 赤穂浪士(NHK)1964
- 赤穂浪士(テレビ朝日)1979