差分

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

赤穂浪士 天の巻・地の巻

4,085 バイト追加, 2016年9月30日 (金) 21:13
編集の要約なし
{{Cinema|制作=東映|公開=1956|内蔵助=市川右太衛門|星=34|頃=}}
冠に「赤穂浪士」とついてるが、でも主役は不良浪人と泥棒。なんだこの変化球は!?とおもったら大佛次郎(おさらぎじろう)という作家の長編小説(1929年)が原作なんだそうですな。
この映画ではよくわからなかったが、再三映像化される原作「大佛次郎原作:赤穂浪士」にはよっぽど引力があるものとお見受けいたします。
 
 
== 加筆 ==
 
上記の感想文は忠臣蔵にハマりたて(これを打ってるいまから7年ほど前)に記したもので、当時は大佛次郎の原作も読んでいないし東映時代劇も知らない、はなはだ稚拙なものですが、それでも削除しないのはビギナーの素直な感想としてはアリかなと自身が面白がったからであります。
 
さて、本作をあらためて見てみますと、非常に丁寧な作りの、ただしい、品の良い作品で好感度が高い。
 
東映創立5周年の本作はカラーの忠臣蔵第1号で、第1号=お初と言えば、「松田正次の東映時代劇(畠剛 著)」を読んで「たしかに!」と膝を叩いたのが、ここで[[大石内蔵助]]を演じる市川右太衛門は十八番の「旗本退屈男」に見るオーバーアクションやメイクを一切取り払って、「これが主税の釣った鯛?ほんとにお前が釣ったのか」なんつって、それは'''事件さえなければひじょうに一般的なおっさん'''としての内蔵助像を作り上げているそうで、それはこれまで表現されてきたやり方とは一線を画す仕事ぶりといえます。
 
右太衛門は自著の中で「本作は在来の忠臣蔵に比べると吉良側や幕府側、また一般側にも出番がある新しい角度で描いてる」というようなことを言っていたそうで、なるほどそれは21世紀からまとめて手当たり次第に見ていては気づかないところ。あらためて順番に作品リストをさかのぼってみるとなるほどそのとおりで、フィルムに色がついただけでなく本作は時代劇的にも、右太衛門本人にとってもパラダイムシフトなアプローチの作品とおぼしめす。
 
(明治期のサイレント映画には本原作を元にした「[[堀田隼人]]」なるスピンオフもあるようだが大佛作品の「赤穂浪士」を忠臣蔵映画として扱うという点では初めてなこころみ。)
 
で、クレジットされている脚本の新藤兼人も新しい試みをしようとしたようだがやりすぎて大幅にボツにされたとか。(実際は松田監督と松村昌治が共同で手を入れたらしい。)
 
何割、進藤さんの働きが残っているかわからないがともかく、原作はひじょうにコンパクトにまとめられている。
 
 
新しい新しいと言いながら決してアヴァンギャルドではなく出来上がりは良い意味で「地味」。松田定次監督的にとってもじっくり撮ったお気に入り作品であるそうだが、これがそのままビギナーにはおとなしく写ってしまうのだろうなと思った。内匠頭の東千代之介も堀田隼人の大友柳太朗も他作品に比べるとなにか一服盛られてるんじゃないかと思うほどの抑え気味の演技で、これがプラスに働いて良い結果にはなっているのだが、独特な不気味も感じる。
 
中村錦之介は、それまで「紅孔雀」でヒーローだったのに本作で打たれっぱなしで脱盟者の小山田庄左衛門となり、ファンが戸惑った。
 
そう。それで思い出しましたが本作はこれまで子供映画路線であった東映の新しいアプローチでもある。
 
 
「東下り」は泣ける。最初、堀田隼人でキャスティングされてたという片岡千恵蔵だが、[[立花左近]]で正解!(泣)
 
 
で、やっぱり2時間半ほどにまとめてるので[[蜘蛛の陣十郎]]と堀田隼人が[[千坂兵部]]の隠密になるところは、いま見てもあっさりしているし、あれだけキャラを魅力的に描いておきながら後半に出番が少なく、惜しい。
 
それでも、なんとかこの二人の活躍をうまくキープしようとしている構成の努力は実っている気がする。

案内メニュー