差分

提供: Kusupedia
移動先: 案内検索

通し狂言 仮名手本忠臣蔵

371 バイト追加, 2018年1月2日 (火) 22:34
編集の要約なし
この「決意」のシーンは周囲の目のないところでやるかやらないかで、7段目の態度をどう読むか意味合いが変わってくるので、なにげに影響力の大きいシチュエーション。(…ということを安兵衛の地元・新潟県新発田の阿部聡氏とウワサした。)
このあと人形浄瑠璃では、想い出に提灯の紋の部分をカッターで切って懐に入れるが、歌舞伎では円筒提灯(龕灯提灯?)の加輪をとっぱらって火袋の部分をたたんで懐に入れた。このあと人形浄瑠璃では、想い出に提灯の紋の部分をカッターで切って懐に入れるが、歌舞伎では円筒提灯(小田原提灯みたいの)の加輪をとっぱらって火袋の部分をたたんで懐に入れた。
いちばん大きな違いがラストで、人形浄瑠璃では「ハッタと睨んでぇ!!」とそれだけ台詞が入って由良之助がハケて幕となるが、歌舞伎は由良之助が花道を下がってるときに幕が途中までしまったところで止まり、急にソデから三味線の人が現れ、マドロス風に台に片足を乗っけたかと思うと「愁い三重(うれいさんじゅう)〜送り三重」を奏でる。由良之助はトボトボむこうへ入る。ちょっとシュールでおもしろい。
さてDVDのおかる、女形の中村歌右衛門(6th)さんがご高齢で、妙齢なはずのおかるがおばあさんに見えちゃうのがじゃっかんサメた。しかしいろんなおかるを見たがこの人ほど「女性」の線というかデフォルメがすばらしい人はほかにしらない。中村福助(9th)のお軽(09顔見世)はその歌右衛門に直接手ほどきを受けてると言うだけに「あ」と思うほど歌右衛門っぽいところがあるが、ひじょうにリーズナブルというか、わかりやすい、なんというか最近の女子のような親近感のあるお軽がいい。ただ演じ方は六段目では三段目の腰元の感じで、七段目で六段目の世話女房で演じるのがいいと三代目菊五郎が言ってたと聞くと大納得なんで、あんまり一力のお勤めが板についてると実家とあんなに名残惜しく別れたいきさつとの関連性が怪しくなり哀れさが減る。
平成20年に白鴎27回忌公演(由良之助=幸四郎(9th)。おかる=芝雀(7th)。平右衛門=染五郎(7th))でライブ見たとき、お軽のひそひそ話のあと平右衛門が「こっちは聞こえねえ」など小ネタギャグが多かった(あたしはコレ、ほかで見たことがない)わりに、ぼろ泣きの出来でした。おかるが不憫で不憫で。歌舞伎のライブって、意識と感情が割と離れてて唐突にワッと泣けてくるんで不思議。理性の方が「あっと、ここで泣くの!?ハイ」て感じでいささかビックリする。歴史が築いた「型」は理屈抜きに日本人のDNAを刺激するようです。)でライブ見たとき、お軽のひそひそ話のあと平右衛門が「こっちは聞こえねえ」など小ネタギャグが多かった(あたしはコレ、ほかで見たことがない。基本的におかると平右衛門の再会シーンはコミカルな滑り出しなので2010年頃はもともとあった「会いたかった会いたかった」という台詞さえAKB48のヒット曲の引用ギャグと捉えられ、笑う客が少なからず、いた)わりに、ぼろ泣きの出来でした。おかるが不憫で不憫で。歌舞伎のライブって、意識と感情が割と離れてて唐突にワッと泣けてくるんで不思議。理性の方が「あっと、ここで泣くの!?ハイ」て感じでいささかビックリする。歴史が築いた「型」は理屈抜きに日本人のDNAを刺激するようです。
作家の町田康氏はこうした感情作用を「その涙ってなんの涙かって説明がないんですよね。ソレが可哀相だからとかソレが劇的に盛り上がったからとかそういうんじゃないんですよね。なんか知らないですけど"根源的な部分をシェイクされるような感じ"がするんですよね」と言っている(もっともこりゃ、浪曲を聴いたときの感想だが)。
人形浄瑠璃の方に「そうじゃいな紫色雁高 我開令入給(ししきがんこう がかいれいにゅうきゅう)」というむずかしい歌詞が出てきて母娘がはなはだ陽気にしてるが、コレ実は「紫色にいきり立ったアレを私の中に入れる」という、母からのなっかなか大胆な性教育。(ネタ元「ワイ本・壇ノ浦戦記」。歌舞伎ではカットされることも?)人形浄瑠璃の方に「そうじゃいな紫色雁高 我開令入給(ししきがんこう がかいれいにゅうきゅう)」というむずかしい歌詞が出てきて母娘がはなはだ陽気にしてるが、コレ実は「紫色にいきり立ったアレを私の中に入れる」という、母からのなっかなか大胆な性教育。(ネタ元「ワイ本・壇ノ浦戦記」。ちなみに歌舞伎では上記の息抜きゲストが入る代わりにカットされることもある。)

案内メニュー