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通し狂言 仮名手本忠臣蔵

234 バイト追加, 2010年12月6日 (月) 01:11
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{{Cinema|制作=松竹|公開=1977|内蔵助=松本白鴎ほか|星=5|頃=}}
[[画像:Sadakuro.jpg|thumb|役者絵:中村橋之助]][[画像:Yujyo_okaru.jpg|thumb|役者絵:坂東玉三郎]][[画像:Tonase.jpg|thumb|役者絵:中村歌右衛門]]
この項では寛延元年(1748年)に初演された'''人形浄瑠璃'''および、それを原作とした'''歌舞伎'''について記述いたします。
== '''五段目''' ==
[[画像:Sadakuro.jpg|thumb|役者絵:中村橋之助]]
「山崎街道、鉄砲渡しの場」。通称:「二つ玉の場」
お家の大事にデートで駆けつけられなかった塩冶判官の家来、[[早野勘平]]が[[お軽|カノジョ]]の実家で狩人生活。イノシシと間違えて[[斧定九郎|人]]を誤射する。うたれて死ぬのは強盗の[[斧定九郎|定九郎]]。
 
[[もりいくすお|あたし]]はそもそも落語の「中村仲蔵」において初代仲蔵(歌舞伎役者)の苦心の工夫の末、生まれた「[[斧定九郎|定九郎]]像」がどんなだろうと興味を持って仮名手本忠臣蔵を見たがったのが、思えばコレが忠臣蔵にハマっていくきっかけのひとつだった。実際見ると歌舞伎の演出が落語とずいぶん違う。とはいえたしかに不気味でかっこいい〜(出番は超短いが)。
 
平成18年の'''海老蔵(11th)の定九郎はゾッとする色気'''で、「ワル」という生き物のよう。先代(つか、親父さん)と細かい振りが同じだったので、勘三郎襲名記念DVDで見た中村錦之助(信二郎時代)の定九郎はちょっとワイルドだったから、チームによって演出が違うんだなあと、私はたいそうおもしろがりました。昭和61年の尾上辰之助は上手に仕込んで、落語に出てくる定九郎のように胸にもべったり血がついていた。
ライブで見るといのししが写真やDVDで見るのより小ぶりに感じてかわいい。ええとその時の定九郎は中村橋之助。<スマートなイメージでした。ライブで見るといのししが写真やDVDで見るのより小ぶりに感じてかわいい。舞台をそのまま通過したりグルッと一回りしたり、茂みに引っ込んだりソデに引っ込んだり、ナマイキにいろんなバリエーションがある。 人形浄瑠璃のイノシシのほうがディティールが細かいがサイズがサイズなのでこれまたラブリーであります。
== '''七段目''' ==
[[画像:Yujyo_okaru.jpg|thumb|役者絵:坂東玉三郎]]
「祗園一力の場」。
== '''九段目''' ==
[[画像:Tonase.jpg|thumb|役者絵:中村歌右衛門]]
「山科閑居の場」。
上記の二人が嫁入りに来たのに、大星家では[[大石りく|奥さん]]から自分の殿様のケンカを止めちゃった加古川さんの娘と、うちの息子と結婚なんてさせられませんと、けんもほろろに断られる。加古川さん本人が出てきて死を以て詫びを入れる。後半がちょっと長い印象。(山科閑居の場)から自分の殿様のケンカを止めちゃった加古川さんの娘と、うちの息子と結婚なんてさせられませんと、けんもほろろに断られる。 加古川さん本人が出てきて死を以て詫びを入れる。後半がちょっと長い印象。  このあと、十段目に行かずに「[[清水一学|清水一角]]」を上演していたというおはなしもございます。 また、09年12月にラジオにうかがった際、義太夫の豊竹咲大夫先生から「顔世、お軽、戸無瀬…とにかく仮名手本の女子ばかりを集めて法要する滑稽浄瑠璃 忠臣蔵九半目というのがある」とうかがった。本サイトの[[早野勘平]]の記述における五段目の「五段目で運のいいのはシシばかり」というのはこの中の坊主の念仏の文句にあるようであります。  そういえばこの作品ってずいぶん人死にが出ますが女子がひとりも死なないんですよね。   
このあと、十段目に行かずに「[[清水一学|清水一角]]」を上演していたというおはなしもございます。また、09年12月にラジオにうかがった際、義太夫の豊竹咲大夫先生から「顔世、お軽、戸無瀬…とにかく仮名手本の女子ばかりを集めて法要する滑稽浄瑠璃 忠臣蔵九半目というのがある」とうかがった。本サイトの[[早野勘平]]の記述における五段目の「五段目で運のいいのはシシばかり」というのはこの中の坊主の念仏の文句にあるようであります。そういえばこの作品ってずいぶん人死にが出ますが女子がひとりも死なないんですよね。

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