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{{Cinema|制作=松竹興亜映画/松竹|公開=1941|内蔵助=河原崎長十郎|星=2|頃=}}
[[画像:Isokai.jpg|thumb|役者絵:河原崎国太郎]][[画像:genroku_kohen.jpg|thumb|公開当時のチラシ]]
情報局国民映画参加作品。真珠湾攻撃の1週間前に封切りされている。 <small>(註01)</small>
玄人向けで'''かなりハードルが高い'''。
原作は新歌舞伎「[[元禄忠臣蔵]]」1934。出てるのは前進座の人ばっかり。」1934。出てるのは前進座の人ばっかり(戦前の、良いころ)。
ところどころ史実や講談の要素を混ぜてるが、ほとんど原作の新歌舞伎をかなり忠実になぞっている。
元禄ヘアスタイルがリアル。(<なんて書いてたら、それどころか本作は武家建築考証、民家考証。風俗考証、史実考証まで一流の先生にアドバイスしてもらってるとか)
製作総指揮:白井信太郎/脚色:原健一郎 依田義賢/監督:溝口健二
註02…リアリズム作家・溝口監督とスタッフのこだわりで実際の江戸城の図面からリアルに実寸の松の廊下が(映画1本撮れそうな巨費を投じて)再現されたという。
「実寸主義で行く」と言った監督のコトバを受けて、当時美術の新藤兼人は武家建築考証の大熊喜邦博士の家まで赴き、博士所有の松の廊下の原寸図を写し帰ったそうである。大道具はソレをすんなり受け取り、松竹御用の建築屋が入り、膨大な材木と人員で作ったという。<small>(「元禄忠臣蔵」再映時のパンフレットより 1978年)</small>
註03…「西洋絵がクローズアップによる一点の凝視と焦点化に重きをおいてるのに対し、日本絵画は「全体的画面構成」によるロングショットを基調とし、同じ画面の中に複数の中心を持ち込んでいる」と言い、「洛中洛外図」の構図を理想とし、広重にうっとりしている監督だったとか。<small>(「日本映画史110年」集英社新書)</small>