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尾上松之助の忠臣蔵

502 バイト追加, 2026年2月22日 (日)
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最古に近い、通しの忠臣蔵映画と言われているそうです。近代フィルムセンターでは「実録 忠臣蔵」。二条城撮影所誕生111周年では「最古の忠臣蔵」と呼んでいる作品
これがBS2で放送があったときは「明治43年〜大正6年頃」の製作であると、スーパーで入っておりますが、近代フィルムセンターは1910〜12年としている。「日本映画データベース」によると1910年(M43これがBS2で放送があったときは「明治43年〜大正6年頃」の製作であると、スーパーで入っておりますが、近代フィルムセンターは1910〜12年としている。「日本映画データベース」によると1910年(M43)としてあります。初代総理大臣の伊藤博文が暗殺された翌年。とにかくこの映画の43年前は江戸時代ですよ。すごい昔の映画。としてあります。初代総理大臣の伊藤博文が暗殺された翌年。とにかくこの映画の43年前は江戸時代ですよ。すごい昔の映画。
ここまで古いと絵作りも相当いまの「映画」とは様子が違っております。据え置きのカメラがセット(と言っても思いっきり絵を描いたカキワリ〜よしもと新喜劇みたいなアレ〜がうしろにあるだけ)の前で舞台よろしく演技をする役者を淡々と撮ってるだけという、ほんと、「黎明期」というおもむき。ここまで古いと絵作りも相当いまの「映画」とは様子が違っております。据え置きのカメラがロングショットで、セット(と言っても思いっきり絵を描いたカキワリ〜よしもと新喜劇みたいなアレ〜がうしろにあるだけ)の前で、舞台よろしく演技をする役者を淡々と固定フレームで撮ってるだけという、ほんと、「黎明期」というおもむき。
厳密に言うと、ほかの映画がつぎはぎで混ざってて、松の廊下の刃傷の時だけ急に奥行きのあるアングルになってる。撮影場所も本当のどこかの大きな廊下(もしくはセット。で、ちなみに衣裳も変わっており、吉良役の役者も違うように見える。)
ていうか、意外に「据え置き」の絵ヅラって基本?こういう構図って黒澤明もやってたですもんね。コレ人間が見ていて安心する構図なのかな。ていうか、意外に「据え置き」の絵ヅラって基本?こういう構図って黒澤明もやってたですもんね。コレ人間が見ていて安心する構図なのかな。(加筆:たぶん黎明期で構図を凝らなかったのかと)
「自然光に勝るもの無し」ということもあるでしょうが、たぶん当時のフィルムの感度のせいで屋内シーンもセットを屋外において撮ってるのがよくわかる。背景の掛け軸が風でヒラヒラしてるし、[[戸田局|南部坂]]も屋内なのにカンカン照り。も屋内なのにカンカン照り。(加筆:屋外…というよりグラスステージかも)
言うまでもないがとにかく「ゆるい」。しかしそれがなにもかも、'''愉快でラブリー'''なのであります。ギャグシーンなんぞはちゃんと声を上げて笑える出来映え。シリアスなシーンでも、墓前の吉良の白髪首をセンスでペシペシ叩いたり(<附言:コレ間違い。供養の意味で殿の腹切り刀を首級に当てている。コマ落としっぽくてペシペシしてるように見える。)、陳腐な言い方だが「逆に新鮮」。
(附言)
トーキーになってからの再編集版と思えるバージョンもあって、2014年にCS衛星劇場で放送した際(大林宣彦監督の解説付き)は、巴うめ子さんなる浪曲師(詳細不明)のうなりで映画が始まり、本編には会話シーンに何人(役者か弁士)かのアフレコが入っていた。トーキーになってからの再編集版と思えるバージョンもあって、2014年にCS衛星劇場で放送した際(大林宣彦監督の解説付き)は、巴うめ子さんなる浪曲師(詳細不明)のうなりで映画が始まり、本編には会話シーンに何人(役者か弁士)かのアフレコが入っていた。(加筆:この再編集版はおそらく1930年代のものらしい。<small>(「時代劇伝説 チャンバラ映画の輝き」岩本憲児 編 森話社)</small>)
※註01…女優が不在で女形がスタンダードだったことは確かだが、それまでにも1900年代には女芝居の映画があったことは、あったそうであります。活動写真を映画と称するに及ぶ、次のステージへの昇華が「純映画劇運動」なるものによってもたらされ、1918年に「舞台脚本ではなくシナリオを!女形ではなく女優を!弁士ではなく字幕を!」と叫んだ帰山教正監督が女性を出演させる映画を撮り、1920年に松竹が映画製作に乗り出すと、ハリウッドの作り方などの影響で次々に女優が登場するようになり、やがてそれがスタンダードになったようであります。※註01…女優が不在で女形がスタンダードだったことは確かだが、それまでにも1900年代には女芝居の映画があったことは、あったそうであります。活動写真を映画と称するに及ぶ、次のステージへの昇華が「純映画劇運動」なるものによってもたらされ、1918年に「舞台脚本ではなくシナリオを!女形ではなく女優を!弁士ではなく字幕を!」と叫んだ帰山教正監督が女性を出演させる映画を撮り、1920年に松竹が映画製作に乗り出すと、ハリウッドの作り方などの影響で次々に女優が登場するようになり、やがてそれがスタンダードになったようであります。<small>(四方田犬彦「日本映画史110年」集英社新書)(「日本映画史110年」四方田犬彦 集英社新書)</small>    監督:牧野省三
近代フィルムセンターでは近い将来「最長版」を作りたいと研究員さんがMCでおっしゃってました。(加筆:同年12月、最長版公開に至るが、もりいは赤穂義士祭の実況のお仕事に出かけるため観られなかった(泣)。2021年3月二条城撮影所誕生111周年でも上映。弁士はいずれも片岡一郎さん。)
 
(加加筆:↑同年2018年に、近代フィルムセンターさんは、『国立映画アーカイブ』という名で再出発しております。)