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左右田孫兵衛
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左右田孫兵衛【そうだ まごべえ】…吉良家家老。
杉浦日向子のまんがによると斉藤宮内と壁を破って逃げ、唐笠屋さんに逃げ込み、店の人に交番に届けてもらい、討ち入り後に穴から戻ったという。
のちにその穴には「犬猫、家老のほか入るべからず」と落書きされた。
講談では吉良家の隣りの[[松浦壱岐守]]の屋敷に逃げ込むが「なんで踏みとどまって主人を守護せんのだ!」と松浦さんに怒られた上、グルグル巻きにされて門の腕木に吊るされ、家来にポカポカ殴られ「ヒーヒー」言う。夜が明けてから松浦家では処置に困り、泥棒ということで老中に突き出す。
実際は討ち入りの翌日、吉良の首が届けられた宅急便に[[一呑|サイン]]をし、その後に配流になった[[吉良義周]]に随行し長野県・諏訪まで行き([[山吉新八郎]]とふたりで)、義周が亡くなるまでの数年を付き添い、建墓して三河(吉良の領地)に帰ったというから忠臣。上記の突き出されエピソードは講談のだいたんなフィクション。
講談で相田孫兵衛と言われることもある。
== 関連項目 ==
* [[左右田源八]](息子)
[[Category:吉良邸用人|そうたまこへえ]]