「冨森助右衛門」の版間の差分
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本所相生町で[[早水藤左衛門|早水]]をあるじ、自分を奉公人という体裁で小間物屋を始める。 | 本所相生町で[[早水藤左衛門|早水]]をあるじ、自分を奉公人という体裁で小間物屋を始める。 | ||
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討ち入りのときにお隣の[[土屋主税逵直|土屋]]さんち(とか[[本多倉之助|本多]]さんち)に挨拶に行ってる。 | 討ち入りのときにお隣の[[土屋主税逵直|土屋]]さんち(とか[[本多倉之助|本多]]さんち)に挨拶に行ってる。 |
2009年2月11日 (水) 04:55時点における版
冨森助右衛門【富森助右衛門とみのもり すけえもん】…元小姓。
俳句好き。雅号「春帆(しゅんぱん)」
凶変後は軽部五兵衛のところに間借りして平間村に住んでいたが、不便なんで江戸に出る。
芝の金杉町に母親おたえと妻・おはや、息子の長三郎がいる。
本所相生町で早水をあるじ、自分を奉公人という体裁で小間物屋を始める。
居酒屋で知り合った吉良家の仲間(ちゅうげん)を賄賂で抱き込んで出入りするようになる。ある日女中の中に元赤穂藩士山岡覚兵衛の妻・お久を発見。彼女は夫の死後、遺志を継いで綾という名で潜伏していたのだった…。
討ち入りのときにお隣の土屋さんち(とか本多さんち)に挨拶に行ってる。
討ち入り後は吉田忠左衛門と一緒にメンバーを代表して自首している。
討ち入りからだいぶ経って息子の長三郎が細川家にお礼状を書いたら気に入られて小姓として就職が決まる。
奥田孫太夫に切腹のアドバイスしたりとか、フィクションの世界でも貧乏してる誰それにカネ持ってきたとか、討ち入りの時大高源五と一緒に冨森が隣家へ挨拶に来たとか、盟三五大切では不破数右衛門の伯父として出てくる。元禄忠臣蔵でも綱豊卿のとこにあらわれるのはこの人だし、ほうぼうでチラッチラッと登場する名バイプレーヤー(?)。
この人の子孫は吉良邸の絵図面を現在も所有。
享年34。