奥田孫太夫
奥田孫太夫【おくだ まごだゆう】…おとぼけ剣客キャラ。
大太刀の使い手。高田郡兵衛(やはり剣客だが、のちに脱盟)とヤスベエとともに強硬に仇討ちを主張する江戸急進派トリオ「江戸表の三士」のリーダー。3人は堀内道場の仲間。
元・内匠頭のお母さんの実家のほうの人。
主家断絶の不幸の後、江戸の家老たちが腰抜けなのでトリオで赤穂へおもむき、直接内蔵助(会うのは初めて?)に「亡君の修羅の妄執を晴らしましょう」とせっつきにいくが、家老たちが前向きなリアクションじゃなかったので3人はすっかりふてくされるが、彼らの宿に小山源吾右衛門が「やるみたいだから。万事大石氏のお下知にしたがうように」と告げに来る。「カッとなってすいませんでした」
江戸に帰ったあと孫太夫は旧知の米屋・新兵衛の貸し長屋に息子・貞右衛門と住んだ。その際吉村仙兵衛と名乗った。
ある日バッタリ会った安井彦右衛門の召使い・惣助から、ふだん安井は「亡君の残志をついで仇討ちをすると騒ぎ回る孫太夫たちは片腹痛い阿呆の極だ」などと悪口を言ってると聞き、ブチ切れ、安兵衛たちと連れだって安井をヅタヅタに斬りさいなみくれんと出かけるが、なんだかどっか行っちゃっていなくなっていた。あとで堀内先生は3人に「些細なことに怒ってちゃ大望は成就しませんよ」とチクリ。「カッとなってすいませんでした」
歌川国芳の「誠忠義臣名々鏡」という武者絵では、入道に化けたムジナを退治している絵が描かれている。
討ち入り後、細川家で世話係の堀内伝右衛門に「切腹の稽古をしたことがないんだけどどうすれば…?」ととぼけた質問をしている。メンバーの富森助右衛門に「ただ首を突き出してさえおればそれでご多分に漏れますまい(笑)」と言われたとか。(元禄時代の切腹は扇子腹といって、ポーズだけとり、首をはねてもらうのがオーソドックスで、本当にはおなかは切り裂かない)
享年57。
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- 奥田貞右衛門(息子)