山岡覚兵衛

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山岡覚兵衛【やまおか かくべえ】…短命の赤穂浪士。元・百五十石。馬廻り役。


片岡源五右衛門のお父さんの親友、片野逸平(かたの いっぺい)門下で武芸の修行を積み、同門のお縫と結婚。

浅野家大変のあと、いち早く義挙に加盟血判をする。

お縫にはしらばっくれて、さしあたって泉州・堺に引っ越すが、数ヶ月経ったある日、井戸端へ出て顔を洗おうとしたとたんにウ〜ンと脳溢血で死んでしまう。

お縫は遺品のお守りから出てきたメモ書きから夫の決心を知り、「女ながらもあなたの妻。きっとあなたの忠義をば貫いてご覧に入れまする!」と撞木町の内蔵助の元へ自分を売り込みに行く。


山岡覚兵衛というキャラよりも、夫の亡き後に、女だてらに操を捨てて吉良邸に侵入する、このお縫という奥さんのエピソードのほうが大きく取り上げられ、彼女はスピン・オフの冨森助右衛門の講談や茅野和助の義妹が吉良邸に侵入するエピソードに、先に侵入していて彼らを手助けしたりする役でカメオでちょいちょい登場している。


落語「山岡角兵衛」ではお縫は娘というバージョンがあり、その場合は父・角兵衛がいまわの際に娘に「あとをたのむ」と言い残すので、池之端の鍔屋宗伴のつてで吉良邸に奉公に入る。

落語版は「志士の打入り」という噺で明治期以前は多くの噺家が口演したと興津要氏は語る。角兵衛の妻(あるいは娘)・縫の活躍がメインなのは変わらないが、元禄14年の饗応がいかに大切だったか将軍・綱吉の生まれたところ=桂昌院の解説を入れたり、演者によっては勅使、院使に出す料理の下りや松之廊下。岡野金右衛門のくだりや、茶道具のくだりなど「親父のは討ち入りまでが長い話」と三遊亭小圓朝(3rd…昭和48年没)が語るように長尺で演じる噺家もいたようです。


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