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イヌの仇討

12 バイト追加, 2018年9月13日 (木) 09:07
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このオハナシは、観客にとって(あるいは世間の風潮が)四十七士の討ち入りが「義士の義挙」であると当たり前に思ってる前提があるからこそなりたつのだが、こんにちにあっては忠臣蔵離れがヒドいのと、知ってる人は知ってる人で吉良に対して同情的になってきていることから2017年は向いてなかったのかもなどと思った。
そうした風潮に食傷気味のあたしには、たとえば「わたしが浅野の腹を切らせたわけではない。かたきを討たれる筋合いはない」という吉良の主張は当時は斬新だったかもだがもう、個人的には聞き飽きている。(誤解してほしくないがお芝居全体はけっして陳腐に色あせてはいない。例えが伝わらないかもだが、高級なカレーライスをディナーで出されて本当はうれしいのに心のなかで「昼もカレーだったんだよな」と思っちゃったから三ツ星、みたいな、そういう個人的気まぐれとお察し願いたい(笑)。)そうした風潮に食傷気味のあたしには、たとえば「わたしが浅野の腹を切らせたわけではない。かたきを討たれる筋合いはない」という吉良の主張は当時は斬新だったかもだがもう、個人的には最近聞き飽きている。(誤解してほしくないがお芝居全体はけっして陳腐に色あせてはいない。例えが伝わらないかもだが、高級なカレーライスをディナーで出されて本当はうれしいのに心のなかで「昼もカレーだったんだよな」と思っちゃったから三ツ星、みたいな、そういう個人的気まぐれとお察し願いたい(笑)。)
かと言って現代風にアレンジしたりせず初演当時と同じ内容(<要確認。ちなみに'88年版の[[狆]]はラジコンじかけだったとか。本作では手踊り人形)のものをみられたのは嬉しかったが、上記のような感覚は残った。はラジコンじかけだったとか。本作では手踊り人形)のものを観られたのは嬉しかったが、上記のような感覚は残った。
で、「赤穂義士のおこないは正義なのか?」という疑問を投げかけるために吉良視点で松の大廊下からXデーにいたるまでを台詞でおさらいして赤穂藩の有り様や幕府、町民などの矛盾点などを突いていって痛快なはずなのだが、そこに説得力を持たせるために吉良上野介を完全に「善人」に仕立て上げてしまったことがいささか鼻についた。(同時に四十七士を少し落としている。)
強欲で上杉家家臣からもウザがられたり、親類からも逆上されそうになったりしたという吉良上野介についての性格の悪い人物像や、名家で重責をになってるだけに超いばりん坊の「高家衆」の有り様など(詳細は歴史を研究している方たちの著作物でごらんいただくとして)、強欲で上杉家家臣からもウザがられたり、親類からも逆上されそうになったりしたという吉良上野介についての性格がアレな人物像や、名家で重責をになってるだけに超いばりん坊の「高家衆」の有り様など(詳細は歴史を研究している方たちの著作物でごらんいただくとして)、'''すべて無かったことにして'''家来たちみんなから好かれてる好人物にアレンジしている。
さらに、浅野は小刀を振り舞わしたりせずぶつかって自分を首尾よく殺せば苦労はなかったと、すっごく潔い吉岡流免許皆伝の「武士」としてのふくらませよう。
コレ、今回吉良を演じているのがわたしの好きな大谷亮介=「相棒」のトリオ・ザ・捜一から抜けたベテラン刑事=だったからワクワク観ていられたようなものの、虫の好かない役者だったらアウトな(やりすぎ)設定である。(初演はすまけいさんだったらしいがそれも良いなぁ。)
やがて吉良は、あれだけ尽くした将軍が自身の片落ちの裁定を棚に上げて世情(浅野びいき)の人気を優先して自分を本所深川なんぞに厄介払いしたと解釈しはじめるのと、大石がやろうとしていることが仇討ちではなく幕府への反逆と理解し始めることとうまくリンクしてきて、こうなったら討ち入りをとことん美談にするために喜んで死んでやるとばかりに炭小屋を飛び出す。幕府のイヌとして働いてきた吉良の仇討である。やがて吉良は、あれだけ尽くした将軍が自身の片落ちの裁定を棚に上げて世情(浅野びいき)の人気を優先して自分を本所深川なんぞに厄介払いしたと解釈しはじめるのと、大石がやろうとしていることが仇討ちではなく幕府への反逆と理解し始めることとうまくリンクしてきて、こうなったら討ち入りをとことん美談にするために喜んで死んでやるとばかりに炭小屋を飛び出す。幕府のイヌとして働いてきた吉良への仇討である。

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