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おしゃれ大作戦

351 バイト追加, 2020年6月6日 (土) 14:04
編集の要約なし
== よいところ/アレなところ ==
同じく女子ばかりが活躍する後年の「[[OL忠臣蔵]]」よりもはるかに忠臣蔵しているし、話の流れやキャラクターのオマージュ加減のアレンジがそこそこ良くて、そこに古澤監督のテンポの良いタッチがそこそこかろやか。」よりもはるかに忠臣蔵しているし、話の流れや、役者に重ねた忠臣蔵の登場人物のオマージュ加減もそこそこ良くて、そこに古澤監督のテンポの良いタッチが、そこそこかろやか。
これだけのメンツを揃えたのだから彼女たちの往年のご活躍をオマージュできるようなパロディも入れたらよかったんじゃないかとも思う。本作では杉本美樹は不良っぽくもなければ拷問もされない。児島美ゆきのスカートはめくれない(パンツだし)。牧れいもアクション係ではない…。必ずしもパロディが良いなどとは思っていないが、せっかく来てくれたのに「出てるだけ」というのはもったいない。(もっとも昔の日本喜劇はストーリーラインの妙よりも、これだけのメンツを揃えたのだから、彼女たちの往年のご活躍をオマージュできるようなパロディも入れたらよかったんじゃないかとも思う。本作では杉本美樹は不良っぽくもなければ拷問もされない。児島美ゆきのスカートはめくれない(パンツだし)。牧れいもアクション係ではない…。必ずしもパロディが良いなどとは思っていないが、言いたいのは、せっかく来てくれたのに「出てるだけ」というのがいかにも、もったいない。(もっとも昔の日本喜劇はストーリーラインの妙よりも、"出てるだけ"でうれしい俳優の織りなす妙をたよりにしていた感じはある)
あと、ファッションをもっと凝ればよかったなあと思う。ファッションほどセクシャリティを雄弁に語るアイテムもないのに、洋裁学校が舞台にもかかわらず当時の流行に押されるまま(<タートルネックにオーバーオールとか丈の長いワンピといういでたちがもっぱら)、ホッパンやタイツなど、美脚が強調されるファッションが皆無で、それがお色気コメディを狙った割にはいたずらな制限を与えており、画面がさみしい。あと、ファッションをもっと凝ればよかったのに…と思う。ファッションほどセクシャリティを雄弁に語るアイテムもないのに、'''洋裁学校が舞台にもかかわらず'''当時の流行に押されるまま(<タートルネックにオーバーオールとか、丈の長いワンピといういでたちがもっぱら)、ホッパンやタイツなど、美脚が強調されるファッションが皆無で、それがお色気コメディを狙った割にはいたずらな制限を与えており、画面がさみしい。
ついでに言うと、本作のお色気シーンはたいがいセクハラなどによる「行為」でのみ表現されている。パーツがクローズアップされることがないのでホーン・ユキも宝の持ちぐされ。(もっと言うと前述の東八郎と牧れいのシーンも特撮ファンの間では貧乳で高名な彼女にわざわざそのシーンを当てるのもどうかと思う。)ついでに言うと、本作のお色気シーンはたいがい、男性陣によるセクハラなどによる「行為」でのみ表現されている。パーツがクローズアップされることも無いので、ホーン・ユキも宝の持ちぐされ。(もっと言えば、前述の東八郎と牧れいのシーンにしても、特撮ファンの間では貧乳で高名な彼女にわざわざそのシーンを当てるのもどうかと思う。)
せっかく用意したお膳立てや道具で、'''うまく遊べていない'''のであります。
映画史にさん然と輝く喜劇映画をかつてリリースしてきた東宝としては、このような「他社(東映)のような」やんちゃな芸風の喜劇作りは徹底的に苦手だったのではと思う。時代が許してるのに、頑なにカルト的なノリに手を出さなかった?映画史にさん然と輝く「しっかりした喜劇映画」をかつてリリースしてきた東宝としては、このような「他社(東映)のような」やんちゃな芸風の喜劇作りは徹底的に苦手だったのではと思う。時代が許してるのに、頑なにカルト的なノリに手を出さなかった?
こうした消化しきれない板挟み感において、右っぽい古澤監督は、こんな軟派な風潮が今後も続くようなら'''もう、いやんなっちゃった'''ということで本作でメガホンを置いてしまってるのじゃないだろうかなんて勘ぐった。ということで本作を最後に、メガホンを置いてしまってるのじゃないだろうかなんて勘ぐった。
検討稿ではメインで暗躍するはずだった先述の大野事務長も、公開時の出番はあらかた当時人気絶頂のマジシャン伊藤一陽の検討稿ではメインで暗躍するはずだった先述の大野事務長も、公開時の出番は、当時テレビで人気絶頂のマジシャン伊藤一陽の[[清水一学]]秘書に出番を取られており、伊藤はひんぱんに登場しては流行語「なにかごしつもんは」を連発している。秘書に出番をあらかた取られており、伊藤はひんぱんに登場しては流行語「なにかごしつもんは」を連発している。
タモリが「空飛ぶモンティ・パイソン」でデビューし、「欽ドン」が東村山音頭としのぎを削っていたこの頃、もはやテレビの人気に力を借りないと笑いが取れなかったのかもしれません。タモリが「空飛ぶモンティ・パイソン」でデビューし、「欽ドン」が東村山音頭としのぎを削っていたこの頃、もはやテレビの人気者に力を借りないと笑いが取れなかったのかもしれません。(脱線トリオや藤田まことのような人気者が作品を助けることがあっても、この作品における伊藤ほど出ずっぱりではなかった。)
テレビで人気絶頂のドリフターズが、本作公開前年(1975年は洋画興行収入が邦画興行収入を越えた年だそうであります。)にシリーズ映画の幕を下ろしている。そのかわり?に翌77年にフジテレビで「ドリフ大爆笑」が開始。テレビで人気絶頂のドリフターズが、本作公開前年(1975年は洋画興行収入のほうが、邦画興行収入を越えた年だそうであります。)にシリーズ映画の幕を下ろしている。そのかわり?に翌77年にフジテレビで「ドリフ大爆笑」が開始。
そのドリフ映画を併映していた「男はつらいよ」シリーズだけがつまづきながらも頑張っている(個人的には森川信の死後は75年の「寅次郎相合い傘」までが、なんとか全力疾走できてた気がする。ン〜「夕焼け小焼け」までかなっ)。そんな時代背景。日本喜劇映画ひん死の時代であります。
つらいところだったでしょうが、東宝も忠臣蔵も、そしておねえさんも好きなもりいにはラブリーなパッケージでありましたww。つらいところだったでしょうが、東宝も忠臣蔵も、そしておねえさんも好きなもりいには、ラブリーなパッケージでありましたww。

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