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さて、桐生さんにお話を戻すと、なぜその象徴的なカタチを再現しなかったのか、前後関係から見ても皆目わからず、ひじょうに不可解な気持ちで画面を見入った。
着物を着た経験のある人ならわかると思うが、前を開けないで走れないのが、着物である。下半身を布で巻いて6キロを走れるだろうか?衣裳として、演出としておかしいのだ。タキシードで銭湯の湯船に入る赤塚不二夫とか、タンクトップでゾンビの群れに立ち向かうちぐはぐを思い出した。着物を着た経験のある人ならわかると思うが、前を開けないで走れないのが、着物である。下半身を布で巻いて6キロを疾走できるだろうか?(ちなみに演目のタイトルは「疾走!高田馬場」) 衣裳として、演出としておかしいのだ。タキシードで銭湯の湯船に入る赤塚不二夫とか、タンクトップでゾンビの群れに立ち向かうサバイバーなど、衣裳にまつわるいろんなちぐはぐを思い出した。
とにかくいろいろ考えた。いろいろ考えた。
いまさらだが、OSKは、宝塚やSKDと同じく、演者はすべて女性である。言うまでもなく桐生さんも女性なのだが、桐生さんはほかの歌劇のスターと見比べても、ひじょうに男性的なダイナミックさを感じる人なのだが、ひょっとしたらおみ足は想像以上に女性的なので、演出を犠牲にしてでも、脚を隠し通すことで観客を混乱から守ろうと思ったのか…・いまさらだが、OSKは、宝塚やSKDと同じく、演者はすべて女性である。言うまでもなく桐生さんも女性なのだが、桐生さんはほかの歌劇のスターと見比べても、ひじょうに男性的なダイナミックさを感じる人なのだが、ひょっとしたらおみ足は想像以上に女性的なので、演出を犠牲にしてでも、脚を隠し通すことで観客を混乱から守ろうと思ったのか…
それとも、とても観客には見せられない、なにか不都合な要素が脚にあるのか…(厳密にいうと、そうがんじがらめに見せないようにしているわけでもないのだが。)・その場合、役作りで筋トレをして、ふくらはぎや太ももをししゃものようにすれば良いとも思うが、それはそれで、ファンは引いてしまうのだろうか?
OSKにかぎらず、この手の歌劇では、男役は脚を出さないというのが不文律なのか…・それとも、とても観客には見せられない、なにか不都合な要素が脚にあるのか…タトゥーや、手術痕など。(厳密にいうと、そうがんじがらめに見せないようにしているわけでもないのだが。) ・OSKにかぎらず、この手の歌劇では、男役は脚を出さないというのが不文律なのか…
いや、それについては調べてみると、かつて宝塚の雪組が「幕末太陽傅」をやったときなど、早霧せいなの、着物から見えるふくらはぎを見てドキドキしたファンのブログが見つかった。ドキドキさもあろう、と思う。そこでは、こうしたことは和装だからこそのことで、男役の生ふくらはぎは滅多に無いとある。
いやしかし、かえすがえすも、なかなかな「不完全」を感じる。
 
おそらく、やっている方も、演出側も、その「不完全」を悔いている気はする。とにかくなにかが仕方がなかったのだろう。(じゃあなんで、そのリスクを背負ってまで安兵衛駆けつけをやろうとしたのだろう)
 実は、桐生さんの動作、というか馬場に急ぐ振りの中に、「気は心」と言った感じで、尻を端折ろうとするかのような所作が何度か出てくる。これが、意外にかわいらしい。「イメージ」として尻端折りを表現する「エアー尻はしょり」なのだ。やっぱ、なんか事情があったんだな。実は、桐生さんの動作、というか馬場に急ぐ振りの中に、「気は心」と、いった感じで、尻を端折ろうとするかのような所作が何度か出てくる。これが、意外にかわいらしい。「イメージ」でご勘弁を、という「エアー尻はしょり」なのだ。
ちなみに、馬場の助太刀に間に合った安兵衛が村上庄左衛門を斬ろうとしたその刹那、裃姿の「オオバヤシツキノカミ」なる人物が現れ(だれ?)、現場をウヤムヤにして終わり。そのままメロウでやさしげなエンディング曲(桐生さんはマツケンサンバみたいな衣裳に変わる)をみんなで歌い、第1部が幕となる。ちなみに、馬場の助太刀に間に合った安兵衛が村上庄左衛門を斬ろうとしたその刹那、裃姿の「オオバヤシツキノカミ」なる人物が現れ(だれ?)、現場をウヤムヤにして終わり。そのままメロウでやさしげなエンディング曲(桐生さんはマツケンサンバみたいな衣裳に変わる)をみんなで歌い、第1部が幕となる。タイトルが「決闘!」ではなく「疾走!」になってる理由はここにある。
SNSを覗くと、ファンの方には安さんが馬場に駆けつけるときのセカセカした歌が、記憶にこびりついているようで、なにより。

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