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忠臣蔵 花の巻雪の巻

276 バイト追加, 2024年11月26日 (火) 15:36
編集の要約なし
== 盛り込まれたかった裏設定 削除された裏設定 ==
[[画像:scenario.jpg|thumb|シナリオ決定稿]]
 シナリオでは序盤…中盤…終盤と、定期的に大衆代表のモリシゲ夫婦が出てくることで時間の経過、または討ち入りの意義。赤穂事件が後世にまで語り継がれる未来についてまで言及して、作品全体を柔らかくまとめる有益な役割がかなり重たく働いているのに、中盤を一部削除してラストをまるまるカットすることで、ひじょうに中途半端な…それどころか違和感まで残すクオリティになってしまっている。
 それらのシーンがあれば本作は「まともすぎる」などと言われる筋合いのない、より際立った作品として残った気がする。 実際に撮ったかどうか不明だが、それらのシーンがあれば本作は「まともすぎる」などと言われる筋合いのない、より際立った作品として残った気がする。
 …とは言うものの、2022年7月。国立映画アーカイブ(長瀬記念ホール ozu)の「東宝の90年 モダンと革新の映画史」で本作が上映されたとき、このモリシゲのシーンは、ほかのおおぜいの観客(東宝映画やスターをこころえていて、金語楼や脱線トリオが出てくるだけで笑える世代)と一緒に見ていると、印象がかなり違った。 同年公開の「キングコング対ゴジラ」では、後年に倉庫からネガフィルムが発見され、それを復元・補完して長尺バージョンがソフトやCS放送で公開されたが、この作品にもそんな奇跡が起こらないかしら。
 モリシゲが"東下りみたいなことをしている"というシチュエーションを映画館では観客はすんなり受け入れ、笑っている。そこには理屈を超越したなにかが場内で成立していた。これはひとりお茶の間でDVDを見ているだけでは見つからない効果である。
 そうした、役者の存在感にまかせて削除シーンをカバーする手法もアリと言えばアリなのだろうが、今回のように、映画全体の特色を変えてしまうような編集は、脚本家やモリシゲにとって残念なことではなかったろうか。 …とは言うものの、いっぽうで、2022年7月。国立映画アーカイブ(長瀬記念ホール ozu)の「東宝の90年 モダンと革新の映画史」で本作が上映されたとき、現状のモリシゲシーンは、ほかのおおぜいの観客(=東宝映画やスターをこころえていて、金語楼や脱線トリオが"出てくるだけで"笑える世代)と一緒に見ていると、印象がかなり違った。
 モリシゲが"東下りみたいなことをしている"というシチュエーションを観客はすんなり受け入れ、笑っている。その人達と一緒にいると、場内に理屈を超越したなにかの成立を感じた。これはひとりでDVDを見ているだけでは見つからない効果である。
 そうした、役者の存在感にまかせて削除シーンをリカバーする手法もアリと言えばアリだし、たしかに削除シーンが有ると少し子供っぽくなってしまうムキも感じるが、映画全体の特色を変えてしまうような編集は、脚本家にとっては、いささか残念なことではなかったろうか。
<付言>ん〜まぁでも、モリシゲシーンをイキにすると、少し子供っぽくなっちゃうのかなぁ…
<付付言>ちなみに、モリシゲが院使の書いたサインを見せて役人を騙すシーンをディスりましたが、旭堂南湖先生の講談「大石東下り」に近衛関白の直筆、というものが権威あるアイテムとして登場してたんで、この映画のシチュエーションもあながち「設定が弱い」などと言いきれない。<付言>ちなみに、モリシゲが院使の書いたサインを見せて役人を騙すシーンをディスりましたが、旭堂南湖先生の講談「大石東下り」に近衛関白の直筆、というものが権威あるアイテムとして登場してたんで、この映画のシチュエーションもあながち「設定が弱い」などと言いきれない。

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