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大忠臣蔵

133 バイト除去, 2015年9月3日 (木) 19:21
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[[画像:Kanpei_s.jpg|thumb|役者絵:高田 浩吉]]
この作品は歌舞伎「この作品は人形浄瑠璃&歌舞伎(以下・原作)の「[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]」を土台に映像化している珍しい作品(同じスタッフ&キャストのクレジットの映画ポスターで「假名手本忠臣蔵」というのがある。企画段階のものか再映のものか)。いわば、歌舞伎の現代語訳版。意外にそういう映画は見る機会がございません。だから」を土台に映像化している珍しい作品(同じスタッフ&キャストのクレジットの映画ポスターで「假名手本忠臣蔵」というのがある。企画段階のものか再映のものか)。いわば、江戸時代の原作の現代語訳版。意外にそういう映画は見る機会がございません。だから[[堀部安兵衛|安兵衛]]とか[[赤埴源蔵|源蔵]]とか一切出てこない。
歌舞伎の興行が本業の松竹ならではの作品。(41年の「原作の興行が本業の松竹ならではの作品。(41年の「[[元禄忠臣蔵 前篇・後篇|元禄忠臣蔵]]」も新歌舞伎が元で松竹が製作。)
とにかくすごく丁寧でくそまじめな作品。
映画は松の廊下事件から始まる。歌舞伎のかたちを画にしようとしてるので、刃傷は長裃姿で及ぶ。そういうスタイルは知る限りではこの映画と映画は松の廊下事件から始まる。原作のかたちを画にしようとしてるので、刃傷は長裃姿で及ぶ。そういうスタイルは知る限りではこの映画と[[忠臣蔵松の廊下|ドリフ大爆笑]]しか見たことが無い。(あ、あと[[忠臣蔵ー花に散り雪に散りー|宝塚]]もそうでした。)
桃井若狭助も出てくるし、ちらちら仮名手本的なエッセンスがある中で、'''「おかるかんぺい」のエピソードがものすごくたっぷり「おかるかんぺい」のエピソード(五〜七段目)がものすごくたっぷり'''しているのがこの映画の一番の見どころ。
登場人物は何人かが赤穂事件の実在の名前に変えられているが(大星由良之助>大石内蔵助など)、勘平が思いを告げる相手は[[神崎与五郎]]ではなく、原作どおり千崎弥五郎という名前のままだったりするのがこだわりであります。
 
[[斧定九郎|定九郎]]の登場シーンも映画的な尺にはなってるが、刀を鞘におさめるときに歌舞伎の演出どおりだったりする。…ちなみにこの定九郎はもうちょっと若くて妖艶な男優がよかったかな〜。ぶっちゃけ勘平の高田浩吉もちょっとおっさんなんだよなあ。
映画版仮名手本と言っても映画的な尺にするために大幅なアレンジが加えられているものの、彼らにまつわるエピソード(五段目〜七段目にあたる)はいろんな細かいところで工夫していて、全キャラが赤穂事件の実名になってるにもかかわらず、勘平が思いを告げる相手は[[神崎与五郎]]ではなく、歌舞伎キャラにアレンジされた千崎弥五郎という名前だったり、[[斧定九郎|定九郎]]のシーンは映画用にさっぱり整理されてるが、定九郎が刀を鞘におさめるときは歌舞伎の演出通りだったりと芸が細かい。ちなみにこの定九郎はもうちょっと若くて妖艶な男優がよかったかな〜。ぶっちゃけ勘平の高田浩吉もちょっとおっさんなんだよなあ。
一力茶屋の場面のみ、BGMに歌舞伎と同じチョボ(義太夫)が流れる。
高千穂ひずるさんのはだけるおみ脚が見たかったなあ!映画だからこそ由良之助の目線がビジュアル化できるのに!やってほしかったなあ!こういうところが「カタブツ」な本作の特徴であります。減点。
舞台ではおかると兄の寺岡平右衛門(この映画では寺坂吉右衛門と混ざった名前で寺坂平右衛門となっている)のシーンがホロリとさせられるが、この映画ではそのあと内蔵助が斧九太夫を縁の下から引っ張り出して悔やむシーンにグッと来る。歌舞伎と比較すると、こうしたメディアによる効果の違いも楽しめます。原作ではおかると兄の寺岡平右衛門(この映画では寺坂吉右衛門と混ざった名前で寺坂平右衛門となっている)のシーンがホロリとさせられるが、この映画ではそのあと内蔵助が斧九太夫を縁の下から引っ張り出して悔やむシーンにグッと来る。原作と比較すると、こうしたメディアによる効果の違いも楽しめます。
八〜九段目にあたる[[小浪]](嵯峨三智子)と[[戸無瀬]](山田五十鈴)もすごく良かった。この映画、女優陣が素敵で、女形でおなじみの女三人のこのシークエンスを'''本女がやる'''という、これは漫画原作が実写になるくらいワクワク。さらにこの義理の母娘を、18歳当時デキ婚で山田五十鈴が生んだものの育児放棄した嵯峨三智子との微妙な関係の二人(仲は険悪だったとか)でやるというすごいキャスティングも見もの(共演で言えば「[[女間者秘聞 赤穂浪士|女間者秘聞]]」もあるが、ツーショットで母娘役というのがドキドキいたします)。。
歌舞伎の九段目は後半がいささか「長いな」とかんじるのに対し、本作のバージョンは簡潔に整理されてるし、まさに「映画化」の意味のある場面である。原作の九段目は後半がいささか「長いな」とかんじるのに対し、本作のバージョンは簡潔に整理されてるし、まさに「映画化」の意味のある場面である。

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