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蜷川幸雄の仮名手本忠臣蔵

1,791 バイト追加, 2016年5月24日 (火) 08:20
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{{Cinema|制作=舞台|公開=1988|内蔵助=近藤正臣|星=3|頃=}}
全編、ところどころ整理したり膨らましたりしてるけどほぼオリジナル(歌舞伎)をトレースしてて、あんまり上演されない段までとにかく「[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]」を'''全部'''(といっても陽気な八段目が無い)を通して演ってるから、これがまずすごい。を通して演ってるから、これがまずすごい。
だからセリフもほとんどオリジナルと同じ「昔なセリフ」なのだが、マトモにやってたら到底上演時間内におさまらないので、ふつうに喋るスピードにアレンジされており(というより、1.5倍くらいマキの入った感じ)、役者さんはさぞかし大変だったろうなと思うが、きっとエネルギッシュな蜷川演出で引っ張って、みんなすごくがんばったのだなあ。見てて気分いい。女優さんがちょっと急いでるかんじがあるけど。
'''<加筆>'''
2016年5月 蜷川氏の訃報に接し、生前に「的はずれな批評」を嘆いていた氏の遺志を尊重して、上記の表層をなでただけの稚拙な感想は近々内容をあらためる(この素直な感想も残しつつ、ですな)予定です。== 加筆 ==  2016年5月 蜷川氏の訃報に接し、生前に「的はずれな批評」を嘆いていた氏の遺志を尊重して、上記の表層をなでただけの稚拙な感想は内容をあらためる必要があるのではと、ビデオを見なおしてみました。 実は、おおむねあたしの感想は変わらなかった。 たぶん本作の場合、批評家はオリジナル(人形浄瑠璃や歌舞伎)と比較してああだ、こうだいうのじゃないだろうか。そうするとたしかに的を外すことになると思う。  加筆に値するのは、舞台美術の特徴で、基本的にはひな壇になった舞台にビッシリ並べられた墓石と蝋燭、そして約20名ばかりのお盆のお迎え提灯を持った「泣き女」が全段を通して(移動があるものの)そこにある(居る)というもの。 仮名手本忠臣蔵の全部を現代的な蜷川演出に組み直すにあたっては徹底的に原作にあるギャグを削除し「悲劇」でまとめあげたのだが、このセットはその効果をすごく上げている。  明らかに最初の感想文で間違ってたのが「八段目が無い」という点で(削除しました)、これは母娘の会話こそ全カットなのだが厳密には、ある。二人の道行に紅白の椿の花が落ちてくる印象深い(そして最短の)幕だ。  二段目の力弥使者や十段目が入ってるのが珍しかったが、二段目で何回もNGを出す[[小浪]]役の女優が降板になってると、[[大石主税|力弥]]役の片岡孝太郎がご自身のブログで当時を振り返っている。 で、十段目って「やっぱいらねえな」というのが、ミエも切らなきゃ音楽も下座もない整理された蜷川演出で浮き彫りになる(笑)。 8年前の自分が「討ち入りがスカッとしない」と言ってるのは、十段目でだれたんじゃないか?(&悲劇の一本槍でくたびれた) いま見ると、討ち入りは悪くない。  
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1988]]

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