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四十八人目の男

24 バイト除去, 2016年9月8日 (木) 17:32
編集の要約なし
戦後の忠臣蔵映画にはこないだまで続いていた十五年戦争にどれだけ嫌気が差したかこれからの「自由」というあり方を台詞の中に盛り込んでハッチャケてる感じさえするが、この作品でものっけから大野が「わしは生きていたいっ」と言うし、庄左衛門にぞっこんのおねえさんも「この世に生まれてしたいことをしなかったらつまらないもの」などと言っている。戦後の忠臣蔵映画にはこないだまで続いていた十五年戦争によほど嫌気が差したか「自由」に対する賛美を声高に入れる傾向を感じ、この作品でものっけから大野が「わしは生きていたいっ」と言うし、庄左衛門にぞっこんのおねえさんも「この世に生まれてしたいことをしなかったらつまらないもの」などと言っている。
それでも「ほんとに討ち入りに参加しないで生き延びることで正解か?」という点を堪えず掲げている部分が、ちょっとほかの上を行ってる感じ。それでも本作は「ほんとに討ち入りに参加しないで生き延びることで正解か?」という点を堪えず掲げている部分が、ちょっとほかの上を行ってる感じ。
脱盟を決めた庄左衛門からは冒頭の清々しいところがなくなる。これだけ丁寧に脱盟者に焦点を当てて共感ができても、「葛藤」の描写がリアルなぶん、ときどきカット・インされる討ち入りに出かけるメンバーの姿や彼らの戦いが「やっぱり」かっこ良く見えてきたりする。戦後の観客にはどう写ったろうか?
作品の質を高めてるのは原作の大佛次郎先生が脚本に参加(!)してることが、おおきく寄与していると思う。作品の質を高めてるのは原作の大佛次郎先生が脚本に参加(!)してることが、おおきく寄与しているのではなかろうか。
おもんみるに忠臣蔵の魅力というのはまさにこの点「どう生きるのが正解か」が鑑賞者に訴えるポイントかなと。そのテーマがうまく構成できると敵味方双方の言い分を楽しめる。おもんみるに忠臣蔵の魅力というのはまさにこの点「どう生きるのが正解か」が鑑賞者に訴えるポイントかなと。そのテーマがうまく構成できると敵味方双方の言い分を楽しめるようで。
ただ、個人的にはあくまでその思いを巡らせるのにはこの作品のように吉良vs赤穂浪士というステレオタイプの土俵がほしい。勧善懲悪の土俵。そこに乗せられちゃう人の気持ち。これがないと忠臣蔵の意味が無い。
本作で吉良をやった高堂国典(「ゴジラ」で大戸島の長老、「七人の侍」で村の長老)はなっかなかのクソジジイぶり。上杉の家臣が「仕えたくないなあ」と思うような非人格者であるほど登場人物の気持ちを楽しめる。

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