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おんな忠臣蔵〜汝、如何に愚かなりとも〜

36 バイト追加, 2017年4月9日 (日) 05:06
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忠臣蔵部分のおウワサですが、今回は忠臣蔵(は劇中劇だし)そのものより、「その時代を生きた人の忠臣蔵観」に注目したい。
たとえば大工の兄妹(妹は兵隊に取られた弟の嫁)が芝居の美術=松之廊下の背景をたのまれると、ただの松の木の絵のカキワリを納品してツッコまれるというギャグエピソードがある。天然な二人のキャラを紹介する登場シーンなのだが、昭和18年当時30でこぼこの年齢だとすると大正初期の生まれですよね。それが「松之廊下」を知らない…!?一切の娯楽に目と耳をふさいだ大正男…いや、そういう人がいなかったとは言いませんよ。言いませんけどでも〜……あとね、ハーフの女性が忠臣蔵劇のどの部分だったかアメリカ人的なスタンスから日本人の精神的なこと(だったか行為だったか失念)で演出に物言いをするシーンもあった。それ面白いんですけど、彼女は帰国子女じゃなくハーフってだけで日本で育ってるんですよね…?あとね、たとえば大工の兄妹(妹は兵隊に取られた弟の嫁)が芝居の美術=松之廊下の背景の制作をたのまれると、ただの松の木の絵のカキワリを納品してツッコまれるというギャグエピソードがある。天然な二人のキャラを紹介する登場シーンなのだが、昭和18年当時30でこぼこの年齢だとすると大正初期の生まれですよね。それが「松之廊下」を知らない…!?一切の娯楽に目と耳をふさいだ大正男とその義理の妹…いや、そういう人がいなかったとは言いませんよ。言いませんけどでも〜……あとね、ハーフの女性が忠臣蔵劇のどの部分だったかアメリカ人的なスタンスから日本人の精神的なこと(だったか行為だったか失念)で演出に物言いをするシーンもあった。それ面白いんですけど、彼女は帰国子女じゃなくハーフってだけで日本で育ってるんですよね…?あとね、[[大石内蔵助]]が[[瀬尾孫左衛門]]にお軽の子供の世話を託すシーン(<という設定はバブル期に池宮彰一郎先生が作ったんだけど、それはスルーします)で大石内蔵助ににお軽の子供の世話を託すシーン(<という設定はバブル期に池宮彰一郎先生が作ったんだけど、そこはスルーします)で大石内蔵助に[[可留|妾]]がいることにショックを受ける従軍看護婦が…etc.
見ているこっちが現代人だからわかりやすくなっておもしろかったけど、そぉんなどいつもこいつも「忠臣蔵ビギナー」の明治&大正生まれって…いくらなんでも当時そこまで無名ではないだろぉ忠臣蔵!(笑)。
各人の脳内の引き出しが「当時っぽくない」と映り始めるととたんにどの女子も当時にしては現代的に、価値観や判断、クレバーが過ぎて見えはじめ、戦争中にタイムスリップした平成女子の設定ならしっくりいく?、などと妄想する瞬間もあった。登場人物の脳内の引き出しが「当時っぽくない」と映り始めるととたんにどの女子も当時にしては現代的に、価値観や判断、クレバーが過ぎて見えはじめ、戦争中にタイムスリップした平成女子の設定ならしっくりいく?、などと妄想する瞬間もあった。

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