街で評判のイケメンという設定の一方で、泉岳寺のおみやげの銘々伝には「非常にぶおとこで、どもりとあしなえとの三具足は一党中の第一人者である」と書いてある。
講談の本にも城明け渡しの後に、備後三次(みよし)の兄の岡本松之助のやっかいになり、ろうあ者で足が不自由なふりをしていたともあり、「障害者」的な設定も見受けられます。講談の本にも城明け渡しの後に、備後・三次(みよし)の兄の岡本松之助のやっかいになり、ろうあ者で足が不自由なふりをしていたともあり、「障害者」的な設定も見受けられます。
谷中の長福寺という寺(住職の文良さんは菅茶山(かん ちゃざん)という儒学者のルポにも広島の三次は寺戸にある甲斐谷に小さな庵を構えて足跛耳聾の菅谷某が子供にバカにされながら釣りざんまいの酒浸りで暮らしてたとあるそうです。 江戸では谷中の長福寺という寺(住職の文良さんは[[近松勘六]]や[[奥田貞右衛門]]の弟)で寓居していたそうです。