菅谷半之丞

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広島県、寺戸の甲斐庵あと
半之丞が潜伏した谷中の長福寺(現・観音寺)の供養塔

菅谷半之丞【すがや はんのじょう】…仇が複数キャラ。

決断の時」では「ER」ルカ・コバッチュの声優てらそままさきが演じ、評定の場面でセリフがあったが、当時お城にいなかったとされる。

講談では、お城にいなかった理由を「父親からうけた勘当のため」としております。

きっかけは父の後妻(つまり義理の母親だが、若い)お岩。この女が不心得者で、なにかと半之丞のかげぐちを言い、すっかり信じちゃった父親が半之丞を勘当する願書を内匠頭に再三提出(当時が縁組み関係に殿様の了承が必要だった)。内匠頭は半之丞が悪いやつじゃないのを知ってるからお金と刀をくれて旅へ送り出す。

江戸に来て源治という昔なじみの魚屋の厄介で手習いの師匠をはじめる。

超イケメンだったので半之丞がお風呂に行くときはもう、近所のおかみさん、若後家、中年増、新造、娘、乳母さん、下女、子守り、ギャル、OLまでズラリと往来で出待ちをする始末。家主のオファーがあって娘のオフヂさんをめとる。

そんなある日バッタリ会った千馬三郎兵衛から、国許で父親が変死したことを知る。聞けば父親の碁敵、奥州浪人の大須賀次郎右衛門と後妻お岩がデキちゃって父親を毒殺したと言う。

自分が浪人になるきっかけも作り、父親まで殺すとは〜!と、怨みを晴らすことを決意いたします。


そして元禄14年3月14日、たまたま江戸城近辺で主家の大事を知り、間も悪く奥さんが産後の肥立ちが悪くて虫の息。赤ちゃんを抱いて赤穂へ駆けつけるが浪人は城に入れられんと言われるわ、赤ちゃんは死んじゃうわで(かわいそすぎ)、腹を切ろうとするところを「心底あいわかった!」と、内蔵助に帰参を許される。

江戸潜伏中に吉良家の大須賀の長屋から継母お岩が甘酒を買ってるところを発見。おのれ奸夫姦婦!

討ち入りの時、裏門隊だったが、隊長の主税に「仇討ち三昧、まことに恐縮ながら」と断って大須賀はそれがしにヤラせてくださいと許可を取り、みごと長屋において二人を槍でぶっ殺します。(講談)


この話、お岩のセクハラがいやで外泊を続けてるうちに内匠頭のアドバイスで赤穂を出た。というバージョンのオープニングもございます。

とにかく講談では菅谷は「父親」「主君」二重の敵討ちをやっております。


街で評判のイケメンという設定の一方で、泉岳寺のおみやげの銘々伝には「非常にぶおとこで、どもりとあしなえとの三具足は一党中の第一人者である」と書いてある。

講談の本にも城明け渡しの後に、備後・三次(みよし)の兄の岡本松之助のやっかいになり、ろうあ者で足が不自由なふりをしていたともあり、「障害者」的な設定も見受けられます。

菅茶山(かん ちゃざん)という儒学者のルポにも広島の三次は寺戸にある甲斐谷に小さな庵を構えて足跛耳聾の菅谷某が子供にバカにされながら釣りざんまいの酒浸りで暮らしてたとあるそうです。


江戸では谷中の長福寺という寺(住職の文良さんは近松勘六奥田貞右衛門の弟)で寓居していたそうです。


享年44。




中村弥太丞

サテ中村弥太丞(なかむら やたのじょう)というキャラがいて、実父が殺され赤穂に駆けつけるまでほとんど菅谷半之丞と同じエピソードの講談がございます。

その話では「復讐の義挙をあげるために浪人共の手まで借りたとあっては末代までの恥辱」ということで帰参は許されず、子供は死んでおらず(でも奥さんはやっぱり卒中で死亡)、討ち入り当日は同じくメンバーにくわえてもらってない大岡清九郎とともに警護に当たった。

彼の場合は討ち入りの3年後に、高崎城下において親の仇にめぐりあい、首尾よく本懐を遂げまする。その後成長した息子は浅野本家に召し抱えられ、めでたし。


名前の文字数や「丞」がついてる(ちなみに官職に由来しててトップが「守」次官が「介」…それより下)かんじが似てるのでてっきり架空の人物かと思ったら実在の人物で、史料では岡野治大夫井関徳兵衛ら5名で松の廊下事件のあと実際に鎧櫃をしょって赤穂城に駆けつけ、籠城に加わろうとしたとか。(浪人をあつめたとあっては残念なので断念するよう内蔵助に断られたのも講談の創作ではない。駆けつけたほかの2名は同門左衛門。大岡清九郎)

中村弥太丞の名で役がついてる役者も忠臣蔵作品にはちょこちょこ、ある。