11,939
回編集
差分
編集の要約なし
{{Cinema|制作=舞台|公開=1988|内蔵助=近藤正臣|星=3|頃=}}
[[画像:ninagawa91.jpg|thumb|主要メンバー以外総とっかえで再演した'91年版のチラシ。]]全編、ところどころ整理したり膨らましたりしてるけどほぼオリジナル(歌舞伎)をトレースしてて、あんまり上演されない段までとにかく「[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]」を'''全部'''(といっても陽気な八段目が無い)を通して演ってるから、これがまずすごい。を通して演ってるから、これがまずすごい。
<余談>
ちなみに蜷川先生、俳優時代に[[大忠臣蔵(NET)|ミフネ版大忠臣蔵]]で[[間十次郎]]やってます( ^∇^ )。(#28「死を賭けた探索」)
== 加筆 ==
2016年5月 蜷川氏の訃報に接し、生前にメディアに対して「的はずれな批評」を嘆いていた氏の遺志を思い、もりいも上記('08)の表層をなでただけの稚拙な感想を、そのままにしておいて良いものかと居住まいを正し、あらためてビデオを見なおしてみました。
実は、おおむねあたしの感想は変わらなかった 笑。(加筆:ところが、それからさらに約10年後に見直してみると、これがなかなか印象が良い。素晴らしい世界観。加齢とともに感じ方が変わってきた?)
本作に的はずれな批評があるとしたら、きっと批評家はオリジナル(人形浄瑠璃や歌舞伎)と比較してああだ、こうだ言うのじゃないだろうか。そうなったらたしかに的を外すことになると思う。
上の感想に加えて、書いておいたほうがいいなとおもったのは舞台美術の特徴で、基本的にはひな壇になった舞台にビッシリ並べられた墓石と蝋燭、そして約20名ばかりのお盆のお迎え提灯を持った「泣き女」が全段を通して(移動があるものの)そこにある(居る)というもの。
[[通し狂言 仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]の全部を現代的な蜷川演出に組み直すにあたっては徹底的に原作にあるギャグを削除し「悲劇」(鬱展開)でまとめあげたのだが、このセットはその効果をすごく上げている。
明らかに最初の感想文で間違ってたのが「八段目が無い」という点で(削除しました)、これは母娘の会話こそ全カットなのだが厳密には、ある。二人の道行に紅白の椿の花が落ちてくる印象深い(そして最短の)幕だ。(椿は冬も咲くけど、オリジナルだと寒紅梅の咲く冬(九段目で雪だるま作ってるし)としている。余談ですが広重は「秋」で描いてます。)
二段目の力弥使者や十段目が入ってるのが珍しかったが、二段目で何回もNGを出す[[小浪]]役の女優が降板になってると、[[大石主税|力弥]]役の片岡孝太郎丈がご自身のブログで当時を振り返っている<small>(片岡孝太郎の話すことあり聞くことあり〜松島屋若旦那の歌舞伎日記〜2016-05-12「蜷川幸雄先生と」)</small>。
また、十段目って「やっぱいらねえな」と思ってしまうのが、ミエも切らなきゃ義太夫、長唄に三味線も下座音楽もツケなどもあえて排した蜷川演出によって、浮き彫りになる(笑)。
オリジナルにある見かけの「いろどり」が一切排除された上での4時間近い悲劇の一本槍は、やはり少々くたびれる。
[[Category:くすおの忠臣蔵作品評|1988]]