「仙石伯耆守」の版間の差分
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討ち入り後、泉岳寺に立てこもってた赤穂義士たちは4キロ歩いて仙石邸で武装解除。石高の多い順に'''4つのお屋敷'''に分けられて沙汰を待った。「元禄繚乱」ではわけられるとき「父上!」「兄上!」と叫んで別れを惜しんでいる。 | 討ち入り後、泉岳寺に立てこもってた赤穂義士たちは4キロ歩いて仙石邸で武装解除。石高の多い順に'''4つのお屋敷'''に分けられて沙汰を待った。「元禄繚乱」ではわけられるとき「父上!」「兄上!」と叫んで別れを惜しんでいる。 | ||
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+ | 講談では浅野本家の松平安芸守に抱き込まれて上野介んちが夜な夜な放火にあうから江戸城より遠くに引越させたほうがいいと老中・稲葉美濃守(いなばみののかみ)を口説く。伝言ゲームで結局将軍は上野介の隠居を決め、討ち入りがたいへんしやすくなった。 | ||
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2009年2月6日 (金) 03:15時点における版
仙石伯耆守【せんごく ほうきのかみ】…幕府大目付。
「元禄繚乱」ではアンチ柳沢吉保だからということを噂に聞いてこの人のところに自首することにしたが、浅野家と遠い親戚筋だったという説がある。
討ち入り後、泉岳寺に立てこもってた赤穂義士たちは4キロ歩いて仙石邸で武装解除。石高の多い順に4つのお屋敷に分けられて沙汰を待った。「元禄繚乱」ではわけられるとき「父上!」「兄上!」と叫んで別れを惜しんでいる。
講談では浅野本家の松平安芸守に抱き込まれて上野介んちが夜な夜な放火にあうから江戸城より遠くに引越させたほうがいいと老中・稲葉美濃守(いなばみののかみ)を口説く。伝言ゲームで結局将軍は上野介の隠居を決め、討ち入りがたいへんしやすくなった。
4つのお屋敷
- 肥後熊本藩・細川家:港区高輪1-15-1都営高輪アパート(明治学院大学のそば。そこそこ泉岳寺に近い)
- 伊予松山藩・松平家:港区三田2‐5‐4 イタリア共和国大使館内(赤羽小の前を入ったところ。イタリア大使館内で見られない)
- 長門府中藩・毛利家:六ヒルんところの毛利庭園(道路のほう)。
- 三河岡崎藩・水野家:水野監物邸跡(みずのけんもつていあと)とは港区芝5-20-20(田町駅のそば。繁華街の中でただの剪定つうか植え込みに見える)