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山鹿素行
,編集の要約なし
その後退職し、江戸に出て民間の学者となる。
そこで反政府的なことを説いて、お上から目を付けられ、赤穂に流刑を言い渡される。<small>(註01)</small>
[[大石内蔵助]]は若い時、山鹿先生を江戸から護送したことで高名になった(<この部分、浪曲「山鹿護送」「山鹿送り」。実際は配流されたとき内蔵助8歳w。)。
ドラマに本人が出てくることはまず無い(厳密には「[[元禄繚乱]]」のように時を大きくさかのぼった作品に登場しないこともないが、「山鹿護送」のような大きな扱いでは出てこない。)が、とにかく劇中に名前はよく出てくる。
註01…赤穂事件とも、忠臣蔵とも関係ない?のだが、素行先生を江戸から追い出した、保科正之(会津藩主。将軍の補佐役)という人物は、吉良上野介と上杉家の富子さんの結婚の取り持ちや(上杉年譜)、吉良の実子・綱憲を上杉家に養子にする計らいをした人である。また、上野介の奥さん・富子のお兄さんはこの保科正之の娘を正室にしている。
事件と関係はないのだけれど、因縁を感じる。