11,938
回編集
差分
提供: Kusupedia
細
もともと『大石東下り』的な本陣のシーンは消化不良感があり、削除されたシーンがあるのではないかと感じた。 もともと『大石東下り』的な本陣のシーンは消化不良感があり、削除されたシーンがあるのではないかと感じていた。<small>(註07)</small>
シナリオでは序盤…中盤…終盤と、定期的に大衆代表のモリシゲ夫婦が出てくることで時間の経過、または討ち入りの意義。赤穂事件が後世にまで語り継がれる未来についてまで言及して、作品全体を柔らかくまとめる有益な役割がかなり重たく働いているのに、中盤を一部削除してラストをまるまるカットすることで、ひじょうに中途半端な…それどころか違和感まで残すクオリティになってしまっている。 シナリオでは序盤…中盤…終盤と、定期的に大衆代表のモリシゲ夫婦が出てくることで時間の経過(未産…重胎…抱児)をわかりやすくし、または討ち入りの意義、さらには赤穂事件が後世に語り継がれる未来にまで言及して、作品全体を柔らかくまとめる有益な役割がかなり重たく働いているのに、中盤を一部削除してラストをまるまるカットすることで、ひじょうに中途半端な…それどころか違和感まで残すクオリティになってしまっている。
編集の要約なし
大石内蔵助は、[[垣見五郎兵衛]]でも[[立花左近]]でもない、尾花光忠という、聴いたこともない人物の名(個人の感想です)を語って東下りをする。定石なら、宿泊中の本陣にホンモノの尾花光忠が現れて「いつもの」勧進帳的なパターンになりそうなものだが、本作では尾花と面識のある、地元の役人が面会に来る。
夫婦は雲水(行脚の僧)となった[[寺坂吉右衛門]](生きてた!但馬に向かう途中なのである。)を見送ったあと、生まれた赤ん坊に「お前の代になったら、この話は大きな声で話せるようになるぞ」と語りかけている。
実際に撮ったかどうか不明だが、それらのシーンがあれば本作は「まともすぎる」などと言われる筋合いのない、より際立った作品として残った気がする。