榎本健一は先年に笠置シヅ子との舞台において体調不良で倒れているそうで、パンフのインタビューの中で「足の痛みもこの頃じゃ殆どなくなって、ようやく自由自在になった」と舞台復帰を喜んでいる。
足の痛みとは突発性脱疽のことで、残念ながらこのあとしばらくして悪化してしまう。自分の劇団も解散したとのことで「経済的には持ち出しになっても(この芝居に)出ることにしました」と言っているので、不運が続いてるエノケンにはこの芝居とて納得のいく起用条件はではなかったようだが、「とにかく舞台が好きでたまんねえ」から出演を呑んだごようす。足の痛みとは突発性脱疽のことで、残念ながらこのあとしばらくして悪化してしまう(この映画の翌年公開の「[[珍説忠臣蔵]]」のチラシにエノケンは「病中で私のみ出演しないのは残念です」というコメントを寄せている。)。 自分の劇団も解散したとのことで「経済的には持ち出しになっても(この芝居に)出ることにしました」と言っているので、不運が続いてるエノケンにはこの芝居とて納得のいく起用条件はではなかったようだが、「とにかく舞台が好きでたまんねえ」から出演を呑んだごようす。
けっこう人気コンテンツだったらしく、1955年に東宝が歌舞伎に進出したあとも上演があったようで、当時の東宝の社長は「これも東宝カブキの一種」「観客に迎えられるようなカブキの趣向」を目指していると語っている<small>(1956年「芸能画報」1月号)</small>。