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花王名人劇場

1,328 バイト追加, 2026年2月9日 (月)
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{{Cinema|制作=フジテレビ|公開=1989|内蔵助=芦屋雁之助|星=3|頃=}}
おなじみの「松の廊下」〜「[[田村右京大夫|田村邸の切腹]]」〜「[[神崎与五郎|神崎東下り]]」〜「絵図面取り(ほんとは[[岡野金右衛門]]だが出演者不足による登場人物節約のため[[杉野十平次]]の蕎麦屋と混ぜたエピソード)」〜「[[蕎麦屋|くすや]]勢ぞろい」〜「討ち入り」を、東西のコメディアン=芦屋雁之助3兄弟、由利徹、関敬六、月亭八方、ぼんちおさむ、チャンバラトリオ、間寛平、宮川大助花子。ゲストスターに三波春夫([[俵星玄蕃|「元禄名槍譜」]]のダイジェストを披露)らが面白く仕立てた40数分(だいぶハサミが入ってるかんじ。&笑いも足されている)の舞台の公開番組。(一度閉鎖してた映画館をライブ会場として復活させた浅草・常盤座での収録。当時ここではロッキー・ホラー・ショーの再上映やら、本格ジャズ〜イカ天バンドのライブ、もりいくすおが後に30年からお世話になるカンコンキンシアター第1回公演など、放送当時なんでも受け入れてた。)のダイジェストを披露)らが面白く仕立てた40数分(だいぶハサミが入ってるかんじ。&笑いも足されている)の舞台の公開番組。<small>(註01)</small>
時代もバブル到来でイケイケのときに、芦屋小雁の[[多門伝八郎]]が「シェップクモウシチュケルモノデチュ」とアホ声で上意書きを読み上げるオフザケは、いまでこそ逆に新鮮で面白いが、このゆるさは当時のお茶の間にどう写ったか。ビミョーだったかもしれないと推測する。
それにしても関東勢がいかにも弱い!由利徹それにしても関東勢がいかにも弱い! 由利徹(68)のほかに関敬六(61)と橋達也(52)…ベテランばっかしか出てない。舞台に呼べるような戦力となる人気の若手が'''いない'''のである。<small>(註釈01)(註02)</small>
とにかく21世紀になるまでルミネや東京NSCは存在しないし、よしもと以外から呼ぶにしてもラ・ママ新人コント大会から出たスターが頭角を現し、ボキャ天などでお笑い第4世代が活躍を始めるのも90年代に入ってからなので、舞台のお笑いにとってはまさに暗黒の時代。
この花王名人劇場はこの放送があった翌年に幕を閉じている。
この9年前から同番組内でスタートしてすっかり屋台骨となっていたドラマ「裸の大将」シリーズの山下清役で人気者の芦屋雁之助を今回、神輿に乗っけてひさびさに彼にがっつりコメディを演ってもらおうというのは粋な企画と思うが、なかなかいろいろむずかしい時代ではなかったろうか。<small>(註03)</small>    註01…一度閉鎖してた映画館をライブ会場として復活させた浅草・常盤座での収録。当時ここではロッキー・ホラー・ショーの再上映やら、本格ジャズ〜イカ天バンドのライブ、もりいくすおが後に30年からお世話になるカンコンキンシアター第1回公演など、放送当時なんでも受け入れてた。  註02…ダウンタウンの名前を出しておきながらウッカリしてたが、ウンナンやB21スペシャルといったお笑い第3世代も、いるっちゃあ、いる。とはいえ、芸風と番組の相性を考えると、たぶん浮く(ゲスト扱いが悪目立ちしそう)。 「民放の良心」と評された<small>(毎日新聞 昭和54年9月29日)</small>番組の性質から考えると、人気者優先ではなく、やっぱ由利徹さんたちを据える判断は妥当。ギリギリで成立しそうなのは、当事ならコント山口君と竹田君(ほか田端グループ)なのかなあ。 
註03…ちなみにこの番組は、スタート当初はすごく尖っていた。放送の前夜祭は古今亭志ん朝と西田敏行がMCを務めてたり、山田五十鈴とか森繁久彌の単発ドラマもあったり、ツービートと円鏡のコラボとか、太鼓屏風、膝人形、手妻浪曲といった、聞いただけじゃ内容の想像もつかない一芸特集を組んだり、タモリがハナモゲラ落語をしたりetc...<small>(「テレビ時代の名人芸グラフィティ」澤田隆治編著 レオ企画)</small>
この鼻息のまま続いていたなら、最終回にダウンタウンが登場しても、違和感がない風格は保てていたかもしれない。
註釈01…ダウンタウンの名前を出したくせにウッカリしてたが、ウンナンやB21スペシャルのようなお笑い第3世代を忘れてた。ただ、この舞台では機能しない気がするから、やっぱ由利徹さんたちで正解なのかな。ギリギリでコント山口君と竹田君かなあ。思うんだけど、制作側の志が高すぎて、当時のお茶の間の民度がついていけず、テコ入れテコ入れで、結果、今回の「こういうかんじ」になってしまったのかな。

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