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実際に、映画産業の隆盛のいっぽうで演劇が厳しくなっていた当時、東宝が松竹の向こうを張って「東宝カブキ」を始めたわけで、この動きは松竹の独占的な歌舞伎興行体制に対する挑戦という側面を持っていたんじゃないだろうか。
そもそも遡れば、宝塚歌劇を創ったりしてた実業家の小林一三が、東京有楽町をアミューズメント化しようとして東宝を作った頃(戦前。昭和初期)から、松竹(小林氏は松竹の顧問もやってたが)は商売ガタキとして東宝チェーンを敵視し、経営方針をパクったり、日活(アンチ松竹)と東宝が手を組もうとしてるところに割って入ったり、ずっと不仲ではあった。<small>(「日本映画発達史」田中純一郎 (「日本映画発達史 2」田中純一郎 中央公論社 )</small>
ちなみに松竹から東宝に移籍した長谷川一夫はこの頃、顔を暴漢に切りつけられて大怪我をしている。