時代劇特別企画 忠臣蔵

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作品概要
制作会社 TBS
公開年度 1990年
内蔵助役 ビートたけし
評価 5ツ星
役者絵:ビートたけし
役者絵:緒形 拳

たけしが主人公だがコメディではなく、新解釈のオルタナティブ忠臣蔵。

「わたしは人を殺したことも無いし、殺されたくもないし、勇気も無い…」内蔵助は臆病な元禄サムライ。討ち入りをしたくなかった…

すべて定石通りに史実のエピソードは進むが、全部の視点やセリフが違う。同じ行動でも視点を変えることによってまったく違うものが見えてくるから面白いし、なにより意外とつじつまが合っている。

キワモノではあるが、素人にはたいへんおもしろく、興味深く見ていられる作品。


とにかくアプローチにさまざまな工夫があって、徹底している。

城明け渡しの際に幕府から下見聞に来た荒木十郎右衛門らの前に内蔵助がひれふして浅野家再興を嘆願するシークエンスも、ほかのドラマに比べてたけし(あくまでここでのたけしは世界の北野ではなく、当時のビートたけしであり、役者仕事が好い加減)の土下座は、ぼったくりバーのチンピラに謝ってるかのようにひじょうに滑稽でなさけなく、赤穂事件のひととおりがバカバカしく見えてくる。

また「元禄繚乱」などでは内蔵助は「何百石取りの連中が霞のように消えていったのに禄高の低いおまえたちががんばってる姿を見ると身が引きしまるぞ」などと浪士たちにエールを送るのに対して、同じような状況でもたけしは江戸のメンツを見て「なぁんだ。金の無いものばかりではないか…」とぼやく。浪士の原動力が忠誠心なのか食い詰めてのやけくそなのか、異様なリアリティで考えさせられる。

家老が「脇差しは突くものです。それを殿はうちわのように振り回した。発狂したとしか思えない」なんて乱心説を説いたり、ふつうは急進派だなんだとイデオロギーで分けて表現される浪士たちの派閥だがこのドラマでは「たかが十石取りの分際で!」的に身分差別を口に出して言い争いをするし、これまで「かっこいい義士」の表現の邪魔になるから避けてきたような表現や創作がふんだんに&大胆に取り入れられてる。

なにより劇中に犬のフンを踏むシーンなど、「忠臣蔵」にはあり得なかった。(近年ではジェームス三木の「忠臣蔵 瑤泉院の陰謀」も近いことをやっている)

討ち入りのときも、屋根から降り損なって打撲した義士の姿も描かれているし(これも最近見かける)、宝井其角はとなりの屋敷から高みの見物をしてるし、討ち入りそのものも「浪士のワンサイド・ゲーム&オーバーキル」っぷりで演出している。


キャスティングは、お笑い芸人のたけしを実力派俳優たちがフォローするように仕事をしている様が、そのまま(シナリオ上の)たよりない内蔵助をバックアップする藩士や支援者の姿と自然にオーバーラップしている。

日本って、別にヘッドがしっかりしてなくてもまつり事がなんとかなっちゃう国だから、こういうアレンジも意外と納得がいっちゃう。(ちなみに時の総理は海部俊樹。


当時たけしを起用して話題をさらった「イエスの方舟」「昭和46年・大久保清の犯罪」のスタッフが作ってきた実録"事件もの"ドラマの第3弾にこれを持って来てるセンスも面白いし、とにかくすごく若いエネルギーを感じる忠臣蔵であり、コミカルにもかかわらずギラギラしている。「邪道」「ナンセンス」という見方もできなくはないが、素直に新鮮さを感じ、偉大なるワンパターンの映像版「忠臣蔵」に大胆な一石を投じたエポックメイキング的作品。(脚本の池端俊策氏は当時44歳の、大人に反抗的な全共闘世代w)

この作品以降、怪作が妙に目につくのは単なる偶然ではなく、明らかに忠臣蔵の作り方に化学反応を起こしているかにも見える。


もっとも特筆すべきは、ラストに赤穂城内で楽しく働く家臣達の回想が挿入されている点である。

我々が知ってる、ふつう目にする赤穂城内は「大変」な時ばかりである。それがまるで本作のラストは映画「火垂るの墓」の餓死した兄妹の霊魂が仲良く楽しそうにしてるシーンのように、または映画「タイタニック」の、ジャックとローズがラストシーンで抱擁するように、「アレさえなければこの人達はこんなに楽しそうだったのに」という、やるせなさを感じる、意味深いシーンになっている。


時代劇ぎらいの人にも、忠臣蔵に詳しい人にもオススメ。


<附言>ある歴女ともだちは「忠臣蔵を持ちだして、重責を課せられた中堅サラリーマンの悲哀みたいに描くのが気持ち悪い」とも言っていた。なんだかそれも納得。

作ってる人が全共闘世代であることに加え、時代は命がけでなにかを成し遂げることがかっこ悪いかのようなしらけムード(当時。三無主義とかモラトリアムとかそういう言葉が目立ってたような)であることも注目。

また、'90年代生まれの後輩は、ボソボソした台詞(たけしはセリフを覚えられないでしばしばカンペを読んでいる(出典:メイキング映像))のたけしの前向きではないようにも取れる演技っぷりに、ドラマとしてのクオリティに疑問を持つものがいた。フライデー襲撃事件からバイク事故の中間あたりにあって、内心荒れていた(憶測)?この時期のたけしの様子を、当時オンタイムの視聴者は、何歩か譲って温かい目で見守っていたムキもあるのかもしれない。


時代劇特別企画 忠臣蔵 寛永版

(↑どっかに「寛永版」とあったんで(<TBSのサイト?)、そのまま載せいるが、たぶん仮名手本がヒットした寛延年間の言い間違いじゃないかと思っています。このドラマは、ちまたでヒットしている仮名手本の内容の真相を聞きに、若い書生が大野九郎兵衛を訪ねるとこところから始まり、大野の回想がナレーションの役目を果たしてメタ的な構造になっている。百歩譲って文化の爛熟が進み、後の元禄文化の基盤が築かれた寛永年間を意識したとしても、ちょ〜っと違和感がある。(真相究明中))