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ショウ マスト ゴー オン 幕をおろすな

サイズ変更なし, 2008年10月17日 (金) 03:54
編集の要約なし
舞台版は1994年の紀伊國屋ホールのをニコ動で見たが、10年以上前の作品なのにすごく笑える。舞台版は1994年の紀伊國屋ホールのをニコ動で見たが、10年以上前のビミョーな時代背景の作品なのにすごく笑える。
しかし、どうしたことかこのテレビ版、舞台版で感じられた満足感がチョット伝わってこない。というか、「え?この時間はナニ?」というようなもてあましたような時間が随所にちりばめられており、脚本と撮影の尺があってないかのごとき雰囲気。いったん気になり出すとカットのタイミングがいちいち遅くかんじる。まるで脚本を書き上げたあとに放送時間が変更になって伸びたんで各シーンを長めに編集した?というほどに間延びしていて、はたしてキャラクターたちが舞台裏で奔走したことはハプニングを解決したといえるのだろうか?と疑問が残るほど。特に最後は「アレ?テープ余った?」とテレビにつっこみたくなるシーンがダラダラ続く。
舞台版とテレビ版の大きな違いは何かというと、ストーリーよりも、監督さんが違うことなんじゃないか。聞いたことのない監督さんでしたが、もしかしたらこの人が三谷喜劇を理解してなかったとも考えられる。こうしたことの要因になってる舞台版とテレビ版の大きな違いは、ストーリーの違いよりも、監督さんが違うことが大きいんじゃなだろういか。演出は三谷自身がやるに限る。このテレビ版は聞いたことのない監督さんでしたが、もしかしたらこの人が三谷喜劇を理解してなかったのでは?(とはいえ、このテレビ版で三谷幸喜ファンになった人多いようです。もとの脚本の勝利なんじゃないかと思いますが。)
あと、失敬な言い方なんですが、'''徹底的に美女が不在'''なんですね。男は見ようによってはイケメンが出てるんです。そういうところで華がまったく無い上に、主役の西村雅彦が舞台版より遙かに物静かな陰険な役どころになってて、笑いが一切排除されてる。近年の三谷作品はコワイキャラクターでも間抜けな笑いどころがキャラにあるのに、子のにしみらは人が泣くほど怒鳴り散らしたりにらんだりと救いようがない。舞台版では現場で威張ってるのに女房に頭が上がらないというバランスが見事に笑いにつながってるのに。こういう演出がまた視聴者を笑いから遠ざけるムードを作ってます。監督は三谷幸喜を理解できないっつうより、根本的に喜劇が撮れないのかもです。なんですね。男は見ようによってはイケメンが出てるんです。そういうところで華がまったく無い上に、主役の西村雅彦が舞台版より遙かに物静かな陰険な役どころになってて、笑いが一切排除されてる。近年の三谷作品はコワイキャラクターでも間抜けな笑いどころがキャラにあるのに、この西村は人が泣くほど怒鳴り散らしたりにらんだりと救いようがない。舞台版では現場で威張ってるのに女房に頭が上がらないというバランスが見事に笑いにつながってるのに。こういう演出がまた視聴者を笑いから遠ざけるムードを作ってます。監督は三谷幸喜を理解できないっつうより、根本的に喜劇が撮れないのかもです。
さて、劇中劇の忠臣蔵は「ブラボー忠臣蔵」というアバンギャルドなものにアレンジされてる設定なので、それがツッコミどころの免罪符になっており、もう自由でいいわけでして、忠臣蔵であって無いような感じになっておりました。
大好きな三谷幸喜が忠臣蔵を扱ったということがまずうれしいのでなんでもアリですわい。でも取り上げてくれたことがまずうれしいのでなんでもアリですわい。

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