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斧定九郎
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この役を、明和3年9月の市村座において、<small>(藤野義雄『仮名手本忠臣蔵 解釈と研究』桜楓社)</small>'''白塗り顔、のびた五分月代'''(さかやき。ちなみに熊の毛)'''のヘアスタイル。黒羽二重の単衣'''(ひとえ)'''に白献上の帯、朱鞘の大小を落とし差し、腕をまくって尻からげに白塗りの脚の浪人姿'''にアレンジし、ドキッとする美しさの強烈な色悪(ヒール)にしあげて大好評を博し、以降それがスタンダードとなる。(オリジナルの文楽が逆輸入したほど)
漫画家のみなもと太郎先生に言わせると、このキャラが出来上がって以降、「天保水滸伝」の平手造酒(ひらてみき)も、高田馬場の[[堀部安兵衛|安兵衛]]も、「浪人」と言えば定九郎像がスタンダードとなったとのこと。なるほど。(ただし黒沢明の「用心棒」で桑畑三十郎が現れるまで?)<small>(『冗談新選組』イースト・プレス)</small>
演出家・蜷川幸雄はご自分の舞台「[[蜷川幸雄の仮名手本忠臣蔵|仮名手本忠臣蔵]]」において、定九郎役の清家栄一氏に「映画『ブラックレイン』の松田優作のイメージで」と言ったという。なるほど。
團十郎が父親・随念と定九郎の扮装についてアイデアを語ってたのを聞いたか仲蔵が、のちに團十郎に乞ふて明和三年(1767)の秋、市村座ではじめてその姿で演じたとか。<small>(関容子『芸づくし忠臣蔵』/戸板康二『忠臣蔵』/松島栄一『忠臣蔵』)</small>
『寿阿弥筆記』には、團十郎主催の修行講で出たアイデアを仲蔵が、自分にそれを演らせてほしいと申し出た、とあるそうです。<small>(藤野義雄『仮名手本忠臣蔵 解釈と研究』より。『歌舞伎年表』(岩波書店)にも。)解釈と研究』/『歌舞伎年表』(岩波書店))</small>。