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シナリオでは序盤…中盤…終盤と、定期的に大衆代表のモリシゲ夫婦が出てくることで時間の経過、または討ち入りの意義。赤穂事件が後世にまで語り継がれる未来についてまで言及して、作品全体を柔らかくまとめる有益な役割がかなり重たく働いているのに、中盤を一部削除してラストをまるまるカットすることで、ひじょうに中途半端な…それどころか違和感まで残すクオリティになってしまっている。あれば本作の個性は「まともすぎる」などと言われる筋合いのない、より際立った作品として残った気がする。 シナリオでは序盤…中盤…終盤と、定期的に大衆代表のモリシゲ夫婦が出てくることで時間の経過、または討ち入りの意義。赤穂事件が後世にまで語り継がれる未来についてまで言及して、作品全体を柔らかくまとめる有益な役割がかなり重たく働いているのに、中盤を一部削除してラストをまるまるカットすることで、ひじょうに中途半端な…それどころか違和感まで残すクオリティになってしまっている。 それらのシーンがあれば本作は「まともすぎる」などと言われる筋合いのない、より際立った作品として残った気がする。
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夫婦は雲水(行脚の僧)となった[[寺坂吉右衛門]](生きてた!但馬に向かう途中なのである。)を見送ったあと、生まれた赤ん坊に「お前の代になったら、この話は大きな声で話せるようになるぞ」と語りかけている。
…とは言うものの、2022年7月。国立映画アーカイブ(長瀬記念ホール ozu)の「東宝の90年 モダンと革新の映画史」で本作が上映されたとき、このモリシゲのシーンは、ほかのおおぜいの観客(東宝映画やスターをこころえていて、金語楼や脱線トリオが出てくるだけで笑える世代)と一緒に見ていると、印象がかなり違った。